地獄の音響の山岡晃とフランツ・カフカの「シャドウオブザダムド」感想と考察

Damnd

シャドウオブザダムドはmk2にレビューを投稿させて頂きました

 昔からのグラスホッパー・マニファクチュア作品のファンならば、おそらくは戸惑いとともに新しい布陣で作られたという本作は受け取られたと思うし、日本国内で特異な作品作りを行っていた海外大手パブリッシャーのエレクトロニック・アーツと組んだ結果がどうなるのか?というのも見ものだったと思う。 が、結果的にセールスやファンの評価と言うのが芳しくは無く、オレは本作は商品の規模や作者の意図などを後で読むに、大舞台での齟齬を制御し切れなかった「未完成作」だと判定している。mk2レビューでも書いたように、須田でも三上でもなく、山岡晃の音響ばかりが特筆して優れていたという。(何でも7.1チャンネル音響を目指したとか)

 がしかし、こう失敗作なんて言ってしまうと切り捨ててるようなのだが、本当の「ダムド」の核はなんだったのか?というのは須田剛一のファミ通でのエッセイやインタビューから紐解くに、フランツ・カフカの代表作「城」というのが本作のベースにあったというようなのだ、ということで、カフカの「城」から想像する、「ダムド」の本当の姿のエントリ。

 ダムドの評価はネット上の感想などを見るに、特に須田剛一だとかストーリーだとか気にしていないプレイヤーなんかは三上真司監督のバイオハザード4と比較してのギミックのひねりの無さや、須田剛一がいつもやることだが特にアクションに振り切っている本作では効果的とは言い難い飛び道具の横スクロールシューティングだとかにかなり厳しい評価をしているし、グラスホッパー作品を比較的に評価している人でもグラインドハウス風だとかB級を狙ってるんだとか書きながら、キラー7などをフェイバリットに挙げるような方にはどうにも納得がいっていないようで、文句を書くにしてもかゆい所に手が届いていないかのような残尿感が残ったような意見も見かける。

 

 オレにしてもグラインドハウスだとかロックやパンクといってもあくまで外面の話であって、ダムドをひととおりクリアしてまず思ったのは、やはりこれはEAという大パブリッシャーと仕事するに当たっての齟齬ゆえ、エッセイやインタビューでも本質的なテーマから迂回して製作せざるを得なかったのではないかと邪推してしまった。

 とはいえこの作品でも須田剛一というゲームクリエイターの通史としてあるテーマが一貫している。この辺のこともmk2に書いたけど、それはシナリオデビュー作と言うファイプロスペシャルから現在まで底の方で繋がっている、死の気配というものが生と等価であるかのように作品全体に満ち溢れていることであって、その当然であるべき前提や境界というのが嫌なほどの薄さだ。このことがシナリオを意図的にバラしたり複合させる方法と加わってさらに増幅されるのが他ジャンルと比較してさえ見当たらない所だ。ゲームクリエイターの前歴なんて普通気にするところなんてないと思うのだが、「葬儀屋の経験がある」という事実が異様に取沙汰されるのもその点が何にも増して目立つからだと思う。

 「ダムド」の核の一つに、そうした感覚をメインに据えたことが大きいと考えるが、もう一つ重要だったのはエッセイなどでも語っているようにカフカの「城」のゲーム化と言う側面のようで、正直な話この話を聞いて今更になってそれを読んでみたことで、ようやく腑に落ちなかったダムドが予定していただろう形やテーマを見立てるに当たったのだった。

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 カフカの「城」とは、測量士Kという主人公が城より呼び出され、近くの村に滞在していても、近くにその城がそびえ立っているのが見えるのに、どうしても城に辿りつけず、たらいまわしにされてしまうという物語だ。城の周辺に住む村人や関係者と関わる物語が展開される中で、城というのが不気味や権力や社会システムと言った暗示を感じさせる小説だとオレは読んでいる。カフカは「審判」もそうだがそのあたりの社会と権力の背景を具体的に描きはせず、主人公自身の世界や環境にプレッシャーをかける抽象的な暗示に満ちた異世界のように描く。

 

 単純に大筋からグラスホッパー作品との符号を書きだすなら飛行機に爆弾が仕掛けられたテロを止めるために呼び出されたのに、無残にも飛行機は目の前で爆発してしまうも、奇怪なことにその瞬間より爆発する前の1日を繰り返し続け、空港に辿りつけないという「花と太陽と雨と」を思い出すし、「城」は白水社版を読んだのだがその解説の中で「作中の城とは何なのかを探る分析だけで図書館ができるだろう」とまで語られるのだが、やはりそれは先のオレの感想で恐縮なのだがカフカ執筆当時の時代から現代的な社会システムにシフトするに当たっての、そのシステムの不気味さや見えなさがポイントであるように思え、作中の旧来的な村と権力的な城という対置が象徴的であり、カフカの「審判」などもそういう気配が背景であると思う。

 それで紆余曲折あった「ダムド」の原風景としてのカフカの「城」の影というのはところどころに見えるわけで、遠くに見える城、奇妙な悪魔がはびこる村、ジョンソンの話からうかがい知れる地獄にも何らかのヒエラルキーやルールがあることなどの点がそれにあたるように感じる。

 元々「KURAYAMI」というタイトルでの開発だったと言うし、ダムド副読本のタイトルになごりとして使われているが、これはもう妄想なんだけど地獄の暗闇の中で、目の前にそびえ立つのに辿りつけない城、その周りの村の悪魔やギミックを攻略する中で暗示される地獄のルールや権力といった構図の中で苛まされる主人公みたいな構図がカフカの「城」と須田剛一作品のテーマとしての「ダムド」の真の姿じゃないかと行く気がする。

 元々の「シルバー事件」「キラー7」もその底にある物語では社会的なシステムやら陰謀によって主人公が苛まされる構図になり、その中で生と死が分かれているという当然の境界が次々と分裂していくことになるシナリオが多いわけで、カフカの「城」と言うのが須田剛一作品のテーマと呼応する点と言えばそこになるのだとオレは考える。本作発売後も「ゲーム化したい作品はカフカの「城」です。」みたいにファミ通エッセイで書いているわけでやっぱ本人が一番悔いが残っているようなのである。ダムドが最後にカフカの「城」と共通するところを言うならば、両者が実のところ「未完成作である」という不完全さゆえの行間を生んだことであり、「城」は永遠に暗示を続けるのに対してダムドは味わいないと言う差だ。

 

 ということで「シャドウオブザダムド」真の副読本はKURAYAMIマガジンではなくカフカの「城」!という話でした。山岡晃の地獄の音響は、「城」を読書する際のBGMには合うだろうか?

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