「ライトニング・リターンズ」ファイナルファンタジー13-3などの続編はどうして未だ作られるのか?

最近の新作への展望

FF13-3「ライトニング・リターンズ」

 

 ナンバリングタイトルに関わらずの続編ってやつ、FFに限らず「アサシンクリードⅡ」 (最近も「エツィオ・サーガ」だなんてまとめて出ましたね)でもそうだし、広義にいえばAAAタイトルではどこもそういうところあるように見える。

 もうゲームの表現レベルが莫大になっていた10年前の「FF10」の時点で、新作を作る際には世界観からゲームエンジン、レベルデザインなどの基礎工事づくりでかなりの時間と予算が取られるのは容易に想像できることだし、ここはオレの推測で説得力は薄いのが申し訳ないが近年のFFの制作期間の長期化ってのはそこがでかい気もする。

 ここ10年のビッグタイトルにおいて、新作ではなく「FF10-2」みたいなナンバリングタイトルの続編はまずその基礎工事の分の予算と手間が省けるって点が大きく、またヒットした元の作品の続編ってことで宣伝の費用もある程度抑えられる(のでは?わかってない)などなどのコストを抑えられるということが大きいゆえに生まれる、というのが基本だ。

 しかも「FF10-2」に限って言えばその当時のスクウェアの状況などを加味して見直すに、これは「FF10の感動を汚した失敗作」と思う人が多数だが、あの制作当時、あの坂口博信氏の莫大な予算をかけた「映画ファイナルファンタジー」の興行不振による負債をスクウェアが背負っておりソニーの資本参加うんぬんがあった、なんて揺らいでいたこと時代を見るに、「FF10-2」の誕生は俗に見てしまえば親の借金で子供が脱がされるみたいなものと言え、そう考えると「ユリパ」もバカゲーかと思いきや彼女らのキャラに一抹の哀愁が漂っているようにもみえはしまいか。実際のアイドルもそういう感じで昔はかなり家庭環境のキナ臭いってのが多くてそういう意味でも実はリアリスティックなアイドルRPGだったなんて再評価できそうだ。

 まあいまさらFF10-2はともかく、例えナンバリング続編であろうとオレはそのタイトルでしかあり得ない部分が洗練されさえしていれば良い。ナンバリング続編の楽しみ方と言えば揃っている素材を使ってゲームデザイナーがいかなるセンスを発揮するに至るのか?を看取るものなんて考えている。

 がしかし、「世界終末時計」システムか・・・前作のタイムトラベルものも目新しいものでなかったし、そのエンディングの引き延ばし方も反発あってそれが「リターンズ」への乗れない印象を作っているというのは分かるが、とりあえずゲームデザインのコンセプトを聞くに、すでに「リンダキューブ(世界の終わりまでに動物を集めて脱出)」とか「ヴィーナス&ブレイブス(世界の終りの予言を覆して世界の終りを引き延ばす)」とか「ゼルダの伝説 ムジュラの仮面(世界の終りの三日間を繰り返しながら回避を目指す)」とかの近い作品の最大成功例を思い出してしまう。

 やっぱ基礎エンジンや世界観など素材の使いまわしだけれどそのタイトルでしかないデザインも優れていた、ナンバリング続編系の大傑作は「ムジュラの仮面」で、あれはビデオゲームの本質を撃ってる(時を繰り返す=トライ&エラーでゲームを繰り返す)とともに、青沼英二氏によるデザインの「青沼ゼルダ」という言い方が付くほどのデザインの個性の発揮などなどと共に良いことづくしだったわけで、FFでは野村哲也氏以降にコアなファンのレベルで名前を聞くデザイナーってのを聞かないのだが、とりあえず上の動画のゲームデザイン担当の阿部雄仁氏に期待したい。 (と思ってちょっと検索かけたら氏の実績はこんな感じ。ど、どうでしょうか?)

メタルギアソリッド グラウンドゼロズ

 そしてこれも「小島プロはもう新作を作らないのか?」とかぼちぼち言われちゃってるけど、もうオレは考え直して新規IPじゃなくても、続編やスピンオフでも、その作品でしかない何らかの革新的なものがあればいいじゃないか、と思うようになった。これはさっきの「ナンバリングの続編」でも同じなんだけれど。

 とはいえスニーキングアクションでオープンワールド、解法はプレイヤーごとに様々であると聞いて思い当たるのは「ヒットマン」シリーズで、オレが数多あるスニーキングアクションの中で「日常に紛れる暗殺者」「様々な解法がある」「ゲームデザインの面白さとサスペンス・スリラーの妙味が同居している」いう点で最も評価しているのだが、まあメタルギアのこと、城落としみたいなのになるのかな、いや「天誅」の最も良かった時に百倍金と予算をかけたものみたいなものなのかな、などとプレイ映像を見ながら思う。

 それにしても、メタルギアもストーリーとゲームデザインの乖離の激しいゲームではあるが、ここでまた「核」とかみると現代の情勢から言って奇妙な話だけど懐かしい話だよなとも感じたりする。どこかで「冷戦時代は、今からしたら逆説的な平和な時代だった」というのを読んだのだけど、今だメタルギアのストーリーラインの中核にその頃を配置しているというのを見るに、その説を納得してしまいそうになる。(それがメタルギア・サーガの辻褄を合わせるために便宜的に冷戦時代のビッグボスを主人公にせざるを得ないとしてもだ)

 メタルギアに現実のリアリティどうのなんて野暮であのリアリティなんてせいぜい軍事オタコンのサバゲー程度だってなんてのはわかっているにしても、アメリカと旧ソ連の社会主義国と帝国のせめぎ合いこそが一つのユートピア的な均衡でありビデオゲームがそれを体現しているのだ、それがメタルギアそれがコールオブデューティ・モダンウォーフェアなんて見立てをついついやってしまう。なんせライトニング・リターンズの「世界終末時計」もあれはもともと核戦争勃発の可能性を時刻の形で表しているってもので、やっぱ米ソの対立の緊張ゆえのもので、かの時代からの想像力って未だリサイクルされ続けている。

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