インディークリエイターはリスの檻か松本人志しんぼるの幻覚を見るか?・「ATUM」感想と考察

Atum

 インディーズゲームに関して注目作のレビューや情報をはじめ、製作者のインタビュー(どんなふうに行ってるんでしょう?)も豊富なブログ「NYDGamer」様の記事を拝見していたら、どこかしらニューウェーブSF的で大変興味深いゲームのレビューをされていて、実際に遊んでみたら大変面白かったので乗っかる形でのレビュー。

 それが「ATUM」という作品で、本作は遊びながらビデオゲームが推敲や洗練を重ねる前の企画段階のような生々しい手触りがあると同時に、クリエイターというものがどこかで陥る発想に関しても思いの行く作品だった。

 

 さてこのゲームの幕開けは、とある一室に入り、パソコンと向かい合うことから始まる。画面には「エンタ―キーを押してください」と表示されており、その通りにすると、画面に2Dスクロールのアクションゲームと思わしきゲームが浮かびあがる。

 そこから自由に操作ができるようになるのだが、このゲームで干渉できるのはFPSらしいマウスによる主観の視点移動と、キーボードによるゲーム内のパソコン画面に映る2Dアクションパズルのふたつだけだ。そこでパソコンの周りを見渡すと、火のついたタバコやライターなどが見渡せるほかに、何らかの仕事のメモやノートなどが散見される。

 ようするにこのゲームはFPSの主観でゲーム内のパソコンのゲームをやる、というわかりやすいくらいなメタフィクションの切り口なのだが、しかし張られたメモやホワイトボードの内容を見渡すに、これはゲーム内のパソコンに映る2Dアクションゲームに関してのメモのようなのだ。ということはそこまで単純なメタな(ややこしい言いからしてるな)わけではなく、どうもこれは「製作中のゲームを確認しているという個人ゲーム製作者の環境そのもの」を追体験しているのではないか?と思わされるのである。

 そう仮説立てながら漢字をあしらったネオンサインが煌めく夜のビルという「ブレードランナー」的なステージを適当に進んでいると、真っ暗で行き止まりのどうしたらいいのか分からない所に出くわす。一体どうすればいいのかわからない。なにをすれば解決するのだろうか。ゲーム内の現実にあるライターの火をパソコンで映される暗闇に近付けることで晴らすのだ。

 このようにゲーム内のパソコンにて2Dアクションで提示されるパズルを、身の回りにあるタバコやライターなどを使って解いていくのが主な内容だ。本作のルール自体は「メインに操作するアクションシーンと、サブとして別のタスクに切り替え/介入してパズルを解く」という「大神」の筆調べ「Nihirumbla」の様々な効果のある色彩を画面内に塗るというタイプのもので決して目新しいわけではないとはいえ、これが面白いのはどこかしらにインディーゲーム製作者がゲームを作るのに煮詰まっているかのような感覚や環境が現れているかのようだからだ

 

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       「パソコンに磁石を近付けて問題解決」 暗に感じられる苦悩が、ここにある

  こういう個人のクリエイターのクリエイションに関しての環境や心理みたいなものが裏の主題に大きい作品って実のところ様々な所で散発していて、本作に近いのはニューウェーブSF作家トマス・M・ディッシュの短編小説「リスの檻」(短編集「アジアの岸辺」収録)という作品だ。

 この物語はとある男がほとんど何もない部屋の中に密室状態となり、外界と交信できる手段はタイプライターと毎日入れ替わる新聞だけ。主人公はタイプライターで外界へとSOSを出そうとするのだが・・・という小説なのだが、ネタばらしまでしてしまうと現実の作家の生活環境というものを戯画化て見立てたという代物というものだ。インドアなクリエイト仕事が極に達するとこういう発想になるとも見える。(そういう仕事柄の反動も絶対あるから、旅行ばっかしてる作家というのも少なくない。)

 そういう方向になっちゃうというのはなにもインドアな作家のものではなく日本最大の芸人である松本人志の映画にさえ現れていて、監督第2作の「しんぼる」なんかもそういう傾向があり、一般的には「シュール」というぼんやりした一言で済ませられがちであるが、実質あれは真っ白な部屋の中で松っちゃんがお笑いや映画をどうするのかみたいな発想に苦しむ所でなんやかんやの一人ごっつを重ねていくというものだったりするのである。

 

 そしてこの手の半ば密室状態で試行錯誤みたいなSF作品に見られるクリエイターの苦悩や生活環境を元にした作品の本当の肝はというと、非常に単純ながらそれは結末にある。「しんぼる」で松っちゃんは苦悩の末に神になるということで極めてナルシスな結末に行くし、ディッシュの「リスの檻」はというと作家と世界(格好つけずここは世間でいいか。)の関係というのをとても皮肉めかし、含蓄を持たせた印象で終わるのだ。

 いささか話が脱線してきた気もするが、では個人ゲーム製作者が毎日地味な問題解決と闘いながらゲーム製作をしている環境や心理を元にしたと仮説立てて「ATUM」を見たとしてその結末はというと・・・うわあああああああああああああ!

 ゲーム製作は本当に地道に一歩一歩進まなければならないという当然現実を暗に感じさせる結末とも言えなくないこの結末。ゲームデザインの発想力から実際に遊べるようものにしていく期間、デバッグなどなどの長い長い繰り返しの中から、あらゆる作品は生みだされていく。それゆえに「外界から閉ざされた個室に監禁されたなかでの試行錯誤」(本作はまあ違うんだけど)とはクリエイターの生活環境のみならず深層心理の戯画化に他ならない。この時間もどこかでクリエイターは「ATUM」となっているのである。

『ATUM』は公式サイトで無料公開されている。ブラウザ上からのみプレイが可能で、リンク先にあるPlay
Atumからプレイできる。

『ATUM』公式サイト http://atumgame.com/

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