唐突に現れた途方もなく狂暴かつ凶悪「Hotline Miami」ホットラインマイアミ・感想と考察

 

 ゲームのルールが面白くて、音楽も印象ぶかく、ゲームを進める原動となるストーリーも面白く、ゲームクリア後の余韻が深く残る作品、それを神ゲーと言って差し支えないのだと思うが、ここのところのインディーズゲーム界隈では・・・・・と言う前置きさえ陳腐と化す、凶悪な完成度を誇るインディーズアクションゲーム「Hotline Miami」

 一見、近年のインディーズ界隈のアクションゲームに有りがちな8〜16bit時代のレトロゲームのインンスピレーションを持ってきたかに見えるし、実際基本的なゲームデザインやゲームルールの構成に関してはその頃のアーケードのデザインを踏襲した作りだ。

 しかしこの作品は、インディーズに数多い安易にレトロゲームの手触りを再現していることだけが目的地であるようにはとても見えず、また「スキタイのムスメ」的に現代の目でレトロゲーム時代のジャンル性を脱構築して別の側面を提示するとか、8〜16bit表現の最短距離で直接伝わる強い意味を提示する記号性を意識的に生かしたコンセプチュアルなものだと評価するのも違う気がする。

 「Hotline Miami」は見立てようと思えばいくらでも近年のインディーズの様々な成功のケースに当てはめることが出来るだろうが、しかしゲームクリアまで行ってみて全ての面で狂暴なイマジネーションを発しているものの前にそうした区分けをすることはあまり意味を為さない気がする。ということでどんな批評や形容も追いつかないくらいの凶悪なまでの傑作に関しての感想と考察。まあこのゲームのミステリーの部分などの考察はみんな散々やっているので別方向に脱線しまくりの内容です。

■80年代の明るさと憂鬱に引き裂かれたアメリカと深層心理に引きずられる物語

 ゲームを立ち上げてタイトル画面が映り、スローなテーマが流れ出し両脇にヤシの木を抱えた道を走っている、典型的なマイアミ、ないしは南国のリゾートのイメージだ。セガの「アウトラン」みたいな。ただ違いは、画面にはかつてのブラウン管を思わせる荒い画像の処理が施されており、空の色がビビッドな紫やブルー、グリーンに酩酊するように色彩が揺らぎ、タイトルロゴはロシア語表記でダブで滲んでいるのである。

 マイアミ楽園のイメージのネガの部分が拡大されたかのような狂気性にいきなり出くわす形であり、その本作全体を貫くイメージを一目見た瞬間に、80年代から盛んに見られた「明るく陽気なアメリカの裏打ちとしての暗黒面」をテーマにした数々の話を思い出した。アメリカを代表する、ビートルズと同時代から活躍していたカリフォルニアのビーチボーイズの明るく陽気なサーフ・ミュージックの裏打ちとしての、バンドの核にいたブライアン・ウィルソンの精神の失調や兄弟の死、バンド間の不和という環境も関係してなのか、その楽曲には「明るく陽気」と対になる「孤独で憂鬱」というアンビバレンツな感情が入り混じっているのである。

 

 そうしたビーチボーイズが表現したものは他ジャンルにも影響を与えていて、それは日本文学の村上春樹の初期の作品からあの糸井重里と任天堂の「MOTHER」シリーズにまで及んでおり、(もちろん一面の解釈だけど)彼らの作品の中に明るさと裏打ちにある暗さに引き裂かれた60~80年代のアメリカというイメージが作品の重低音にある。

 村上春樹も「MOTHER」も読んだしクリアしたよという人も多いだろうが、その描かれる内容は一見翻訳文学のお洒落さやスヌーピーっぽい絵柄に反して非常にサイコロジカルで抽象的な物語に掘り下げていくものであり、わかりやすいところでは「MOTHER」もあの心の中に入っていくようなマジカントから、都市フォーサイドの暗黒面みたいな気配の強いあのムーンサイドの描写などなど明るさと陰鬱まじりのBGMや、村上の「羊をめぐる冒険」というのは主人公である一人称の「僕」(おお今考えたらFPSやギャルゲー的なあれですね)が北海道への捜索の中で、あるラインより非常に抽象的なシーンに入り込む。それを示す人物として特異な登場人物「羊男」が「僕」を誘導するように現れるのである。

Hotlinemiamiposter2_2

 主人公が現実から自身の深層心理に介入していく導きの役割として、人間なのかそうでないのか分からない人物が現れるのだ。明るいリゾート・マイアミの明るさと引き裂かれる形の暗黒の「Hotline Miami」では冒頭いきなり真っ暗闇の、これはゴキブリか何かの虫なのかそれとも視覚が歪んでいるゆえのものか分からない、おそらくは心の中を表す部屋の中で、動物のマスクを被った3人の人間と名もなきジャケットの主人公が出会うことで幕を開ける。

 馬のマスクの女はこちらの来訪に優しく接してくる。それに対してフクロウのスーツの男は辛辣に当たってくる。ここは何処なのか。何者なのか。この3人の中心人物であろうニワトリのマスクの男が、主人公にそれを確かめるように過去に何があったかを促す。

 そして1989年のマイアミの記憶へと導かれるのである。それはビデオゲームの歴史の記憶とも重なるそれなのか、主人公はそこで誰なのか実態のつかめない人物より連絡を受け、殺しの依頼を受けるのである。

 リゾート地マイアミの暗部ということで分かりやすい所でその犯罪とは、地域によっては一時期全米で最も治安が悪い場所であり、それは中南米系の貧民・難民が移民として大量に流入したことが大きい。そうした現実をゲームに落とし込んだ大作として「グランドセフトオート・バイスシティ」があるが、「Hotline Miami」で描かれるのは中南米系のドラッグを巡っての抗争のようなそれではなく、マスクを被った主人公が依頼される殺しの対象はロシアン・マフィアなのだ。それは1989年のアメリカ、という時節にも暗に関係してくる。

 

 数々の人名を表した動物マスクを被り、たったひとりで何の武器も持たない状況からマフィアが根城にしている所へ殴りこむ。このゲームの本編の始まりだ。

■シンプルにして残虐な本作のハイライトのゲーム・ルール

 

 このゲームのルールは極めて単純かつ戦略が要求されるものだ。操作はキーボードのWASDでキャラクターを動かし、マウスで照準を合わせるタイプのもの。ステージを始める前にまず様々な能力を持つマスクを選ぶ。そして根城にしている場所に乗り込み、中にいるロシアンマフィアを皆殺しにすればステージ・クリアという、極めてアーケード・アクションゲーム的であり画面のステータスにはスコアの表示と、銃器を取った場合には所持している弾数だけが表示されるのみだ。

 プレイヤーの性能はというとスタート時にはパンチしか打てず、相手の攻撃で一撃で終わってしまう。そのためどのステージでもまず相手を殴り倒して武器を奪うところが導入になるのだが、簡単にはいかず無策で行くと簡単に返り討ちになり一撃で死ぬ。そしてやり直すことを繰り返す。

 入手する武器に関しても強力なショットガンを手に入れれば勝ちは決まったものなんてことはなく、大まかに分けて銃器と鈍器でそれぞれ攻略のリスクとリターンがはっきり分かれている。

 銃器は遠距離から多数の相手を殲滅出来るので強力であるが、発砲すれば銃声を聴きつけたまわりの敵が殺到する。その性質を利用して逆に敵をおびき寄せるなどしてうまく使わなければすぐに終わってしまい、状況によってはかえって使えなくなってしまう。鈍器や素手を使った攻撃ならば射程距離が短いリスクの代わりに、攻撃した反応に周りの敵をすぐさま呼び寄せるわけではなく敵の個別撃破に向く。ステージが進むごとにこの特性を生かした上の敵の配置から建物の構造と言ったレベルデザインとなって行き、より最初のマスク選びから撃破する敵の順序や方法を考えた戦略が必要となる。

 なのでトレーラーや画面写真の段階では猟奇快楽殺人鬼の殺戮のようなイメージであるが実際には非常に敵の特性から武器の性質までを理解した上での戦略の構築が求められ、そのプレイ感覚は快楽殺人的なそれではない。8ビットで描かれる極めて残虐なゴア表現が視覚に痛烈に突き刺さるが、少なくともオレにはだけど、何度も何度も生き死にのリスタートを繰り返すうちにゴア表現目的の感覚は消え失せ理性的にステージクリアを遂行することになり、皆殺しにした後の残虐極まる結果を当然のように見つめる感覚となるのである。

■そして、純粋な凶悪

 ビデオゲームで描かれる物語や表現と実際のゲームシステムを解いている感覚の乖離(FFやドラクエで何度戦闘での死を生き返らせたりなどはルール上可能だが物語上での死は戻せないみたいな)というのはどうしても起こるもので、オレが激賞した「spec ops the line」 もやはりアンチ・タクティカルシューターの発想であろうと、その銃撃戦を繰り返すゲームシステムまで変えきれなかったことで作品を決定的なグレードの高さにまで持っていけなかった。

 本作の何度も死に、見た目に反しての理性的なゲームプレイを要求されるというのはここで描かれるサイコロジカルな物語と離れるものだろうか?そうではないのである。3人のマスクの人間に導かれ、ステージが終盤に差し掛かる頃に物語の驚異的な転回が訪れる。そこで何度も死にながら殺戮に向かう主人公の根拠が明らかになるのである。

 電話の正体は誰なのか、主人公は一体何故ここまでの殺戮を行うのかの真相に近づくと共に、この現実か幻覚か曖昧になっていく物語と殺戮のゲームプレイは、凄まじい80年代ディスコ的なBGMをダブやサイケデリックに彩ったBGMと共に加速していく。それが何よりも本作を凶悪な完成度へと導いている。残虐極まる殺しの表現からゲームシステムとルール、ストーリーテリング、BGM、グラフィック・・・全てが一帯となっている作品に出くわすことはめったにない。皮肉だがこのインディーズの規模だからこそ、この一致が可能だったかも分からない。

 本作がなにより凶悪なのは本作の製作者が果たして全てを計算づくで行ったのかというとこれはそうではないだろうことだ。理性的なコンテクストを分析した上での作りとはとても思えず、今現在の製作者に備わっている身体感覚すべてを吐き出して構成したものに見える。なのでレトロゲームの脱構築みたいなことも、そして結末まで行きつくことでさらなる転回を見せるストーリーの謎解きのようなことで観るのさえも適切な評価に至らず全て蛇足だ。

 

 そしてここまでの本文の全てさえも無論蛇足に過ぎない。この凶悪な完成度を生み出せるのももしかしたら製作者のなかでも一生に一度あるかどうかというものだ。既にDLCや続編の製作が決定しているとのことであるが、それからどうあがいてももうすこしゲームシステムなどを考えた理性的なアプローチとなるか、自己模倣になるかのどちらかでおおよそのものは進むものだからだ。

 

 なので2度とあり得ない感覚が形にされたものとしか思えず、まだインディーズゲームが何を見たらいいのか分からないという人にただ一つ勧めるとしたらという熱量を持っていることは確かだ。そしてこの凶暴な完成度はどのような批評も評論も越えるのである。

Hotline Miami 公式サイト

STEAM・GOGで配信中。

 

広告

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中