「街 運命の交差点」七曜会の設定の元ネタ小説「木曜日だった男」

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 未だにコンシューマーの範囲では伝説的な評価をされるサウンドノベル「街」。そのメインシナリオの一つ「七曜会」に元ネタとなる小説があったというので読んでみた。

 それは「木曜日だった男」という小説で、「ブラウン神父シリーズ」を代表作とするイギリスの探偵小説家・批評家であるチェスタトンによって1905年に書かれた作品なのだが、その内容は探偵小説家らしい一見ミステリー小説の体裁に見えるが、途中からファンタジーとも形而学的とも、皮肉とも付かない展開を見せる内容であったりする。

 まず概略だけ書いてしまえばこれはもう「街」の方が盗んだ設定は本当にそのまま。書かれた時代である20世紀初頭のイギリスが問題としていたアナーキズム(無政府主義、乱暴に今で言えばテロリズム)の秘密結社に警察である主人公が、詩人を名乗っていスパイとして潜りこむという内容なのだが、そこでは月曜日から日曜日までをコードネームに持ち、日曜日がそのヒエラルキーの頂点として指揮をとっており、主人公は木曜日の名前を授かることになる。篠田正志と一日違い!

 さて街の「七曜会」では人が隠し通している社会的地位に関わる過去の犯罪歴などをネタに強請ることで、裏ネタを買い取らせるために莫大な金額を請求するか、七曜会に加入させる代わりに一万円で買い取らせるかというもので、元ネタの「木曜日だった男」の社会背景がアナーキズムと言うのに対し、こちらは90年代中期の日本らしいオウムまたは統一教会といったカルト宗教イメージに加えマルチ商法・ねずみ講といった古いタイプの詐欺を元にしている。何故かこのあたりを書きながらあの頃のたまごっちの匂いを思い出してきた。

 しかし「木曜日だった男」もそんな順当な当時のアナーキズムを元にした探偵小説なのと思いきや別に脅したり破壊活動に講じることはない。それどころか通常のシナリオの展開よりも遥かにラディカルな展開を見せるのである。というのも、主人公である木曜日が、トップの日曜日以外の医者や教授などを名乗る他の曜日の人間と接触していく、という進行は盗んだ元の「七曜会」と同じなのだが、ところがそんな他の曜日の人間たちの正体も全員スパイ目的の警官だったのだ。なんですぐわかんねえんだよ!

 だったら日曜日というのは何者なのか?を6人全員で問い詰めようとするのだが、その時には日曜日は気球で脱出。6人は必死で追いかけていき、遂に日曜日と相対するのだが、そこには現実と幻想が崩壊し木曜日は一つの神を見ることになるという、「七曜会」のラストの方でマルチ商法というかなりがっかりなオチなのに何故宗教的な領域の話になっていくのか?の元ネタの方はその上を行く相当な展開だ。これは「神は世界を6日間で作り、一日休んだ」というキリスト教(または、ユダヤ教)の逸話のチェスタトンのパロディではないかと読め、では日曜日が全能の神というのは世界が作り終えられた後を見守る位置ゆえなのだ。つまり元ネタの方がエスプリ効かせ倒してふざけてるもので「七曜会」の方がバックグラウンドの学識なしで大真面目に作り過ぎてどこかボケてるものだった!ということが比較によって明らかになっていくのだった。

木曜日だった男 一つの悪夢 (光文社古典新訳文庫) [文庫]

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