彼らは皆かけがえのない存在「Thomas was alone」感想・そして「ICO」から思う今のパズルアクションがもたらす物語の考察

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 基本的にビデオゲームを遊んでいるとき、アクションの2PプレイやMMOのように対人を介してのものは全く別にして、シングルでのRPGなどを遊んでいる時に仲間が仲間を助け合う関係と言うものを、ストーリーの展開ではなく戦闘などのゲームプレイの中で感じることは最近全くなくなった。

 これはオレがすれてきたせいなのか。「ドラクエ2」を遊んだ時に、初めてサマルトリアの王子が仲間になってしばらくくらいはゲームプレイ中にそういう「仲間が助け合う」みたいな行間は見えたかもしれないが、RPGなんてやってる手前すぐさまにそれは戦略上の手段や手駒への評価にすり替わる。みるみるうちに戦略上役立たずであったり、または「ドラクエ4」のクリフトの死の宣告呪文を連発するAIのようにズレて行きはじめ、そこには皮肉な感情しか残らない。

 情緒的な展開もゲームデザインやゲームシステムの結果ズレ始める。「バイオショック・インフィニット」でさえも提示されるストーリーと表現の豊穣さに対し、FPSというゲームシステムの上でエリザベスというのがかけがえのない相棒というよりかは結局はどの段階で弾薬や回復を出すかというルールにしかなっていない。

 シングルでのゲームにおいて、ストーリーではなくゲームプレイのなかでかけがえのない仲間たち、という感覚を見取ることはもうないのか?と思っていた矢先に、まさかのミニマルスティックアクションパズル「thomas was alone」のゲームプレイの中で、久方ぶりにそのかけがえのなさを見出した。もしかしたらそれは「ICO」以来かもしれない。というわけでそういうナイーヴなテーマと、近年のアクションパズルから生まれる感情に関して。

                     ・・・

 さて本作だが、観ての通りそのゲームデザイン、そしてステージ、操作キャラクターにはほぼ全く何の世界観やキャラクターのヴィジュアルが描かれず、全てがピクセルで描かれている。一見して西洋絵画が絵画を構成するための必要条件を極限まで絞った抽象画家、ピエト・モンドリアンの絵画がやったことを思い出させるビジュアルだ。

 もともと24時間でゲームを作る企画によって作られ、2010年にフリーゲームで公開されているものにトータルのゲームデザインをブラッシュアップさせたものだ。高速で作ったことが良く分かるフリー版と比べて、この製品版は完全な抽象とまではせず、具体的な主人公たちのことを語るナレーションやエレクトロニカのBGMを使用した形でプレイヤーの感情移入を導く。だからこのスチール以上に実際のゲームプレイは遥かに特殊な体験になるのだ。

Thomas

 黒いフレームのステージ、四角形の形と色分けのみで分別されるキャラクター。ビデオゲームのグラフィック面が感情移入させるための世界観やキャラクター描写を削り切り、最低限のゲームシステムのみを提示したスタイルがオランダの抽象表現主義に繋がった瞬間

 この世界はコンピューターのなかで主人公たちはそのAIであり、ここから脱出していこうとするという世界観があり、そして主人公たちの心象というものがテロップとナレーションで語られる。タイトルの主人公・トーマスがたったひとりのところからポータルをくぐりぬけていく中で他のAIたちと出会っていくという流れだ

 ゲームで提示されるルールはシンプルで、複数のキャラクターを入れ替え、各キャラクターの形状やジャンプ力、能力を駆使してそれぞれをステージ上の出口へと連れていくという、かなり簡潔なステージクリアタイプのパズルアクションだ。しかしこれが、優れたエレクトロニカのBGM、ナレーションによってゲームを進めるにつれてだんだん一つの感情が喚起させられてくる演出となっている。

 たったひとりだった主人公の赤の長方形トーマスが、あんまり高くジャンプできないどん臭い正方形のオレンジのクリス、高くジャンプができる背の高い黄色の長方形のジョン、死のうと水に飛び込むが、身体が浮いて生き延びた大柄な紺色の正方形の女子クレアなど、独特の特徴を持つがどこかしら隔絶されていたAIたちと出会っていく。そうした孤独な彼らが自分たちの特徴と能力によってお互いを補い合いながら先へ先へと進んでいくのだ。

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   七人の仲間たちが集う。一人も役に立たないことは無い

 これがパズルアクションが提示するルールとゲームデザインを演出し見事に感情的な体験へと昇華し、ゲームプレイの感覚が仲間たちの誰が役に立たなくなるなんてことは無く、彼らの能力を使い、補い合いパズルを解いていくうちに彼らそれぞれが互いにかけがえのない存在になっていくかのような感情が生まれてくる。そしてナレーションやステージ演出もまたそうしたゲームプレイの感情を支える形で挿入されてくるのだ。孤立していた彼らが繋がりあう。ここに「thomas was alone」の本懐があると思う。

 そしてもう一つ素晴らしいなということにやはり優れたエレクトロニカのBGMがある。電子音楽におけるテクノから様々なジャンルに分かれた中でエレクトロニカへの分岐もまた、単純化された電子音韻・電子音響からいかにエモーショナルな表現をするかと言った試みだからだ。単純化された電子ビジュアルの感情的な体験を、感情的な電子音楽が彩るという形となっているわけだ。

 コンピューター上のAIでしかも抽象化されたビジュアルでありながらこうした感情移入を起こさせるという、ビデオゲームの根源の要素をこうして逆転させた形でエレクトロニカで見立てなおすというさすがに最近のインディー界隈がやっているようなコンテクストのかけ直し方だ。

▼そして最近のパズルアクションと物語

 冒頭で「仲間が出来ても結局戦略や手駒になる」という感想を抱いた例に上げた作品はそもそもRPGだったりFPSだったりなのだが、解法に多数の道筋が存在する上に、当たり前ながら「敵を倒す・制圧する」みたいな目的があるわけで、結局のところそれではストーリーの方では関係は見えても、ゲームプレイ中の行間からプレイヤーとAI、登場人物同士のかけがえのない関係を皮膚感覚で見取ることは無い。

 思うのだが現代のパズルアクションにて注目を受ける作品の傾向で、単なる提示されたパズルを解くだけではなくゲームプレイの感覚が非常に情緒的になっていることがある。これは第一に目的がランダムな敵の行動の攻略ということではなく、きっちりと整合的な謎を解いて先に進んでいくという、実質攻略の形が一本である、ということが大きい気がする。

 近年高い評価を得た「limbo」「braid」もそんなパズルアクションであるし、そういえばこの前の「Nihilumbra」などはプレイヤーのパズルを解くためのフィーチャーが増えていくことがそのまま現象学的な意味の「虚無」である主人公が色彩を得ていくことで「世界」を捉え直していくための過程に繋がっているわけで、そこがとても琴線にかかった。

 もっと振り返れば「ICO」があれだけエモーショナルな感情を喚起させたのもやっぱそうした実質的にリニアな構成によるところは大きいと思う。(裏技は別にして)攻略の形はただ一つのパズルを解いていくことだ。あれを真逆にして「敵との応戦」「戦略」「駆け引き」を主にした攻略による快楽を目的とすると「デビルメイクライ」「バイオハザード4」ですね。「バイオショック・インフィニット」が多彩な戦略や選択肢、展開があるFPSシーンで本当にお互いが無くてはならない共闘をAIにて作るのはプログラミングの作業が膨大化してしまう上に根底のレベルデザインまで書き変えねばならないことは容易に想像でき、それであんな回復アイテム獲得ポイントのような簡潔な役割になる(開発の長期化の理由はここにありそうだ)。だから戦略が要求されるそれでエモーションを生み出すなんてことは凄まじく難しいことだ。

 かつてはアドベンチャーゲームがもっとも物語やヴィジュアルといった流れをドライブすることを楽しんだわけだし、ゲームプレイで特にエモーショナルな経験を生むためにはランダムな要素の大きいチャレンジへの、多彩な選択肢による戦略や駆け引きといった要素があればあるほどそこに攻防や勝利への快楽はあれど情緒的な体験にはなり得ないのではないだろうか。戦略や駆け引きが存在すればすぐさまに登場人物は攻略のための手駒への評価に変わる。本作に加え現代のパズルアクションのゲームプレイに情緒的な体験を提示させる傾向が一部にあるのはそういうことのように思う。

 

Thomas Was Aloneは公式サイトより各DL販売サイトにてリリース。

 今から買うのでもっともお勧めはThe Humble Indie Bundle 8で、自分で支払う額を決められるチャリティー価格で1ドルから買える。この記事公開時点で残り9日!「Dear Esther」もここで今更買って遊んだので次回はこれの感想と考察。

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5件のコメント

  1. 仲間をシステム上で表現するのって本当に難しいんすよね。
    個人的に一番仲間を感じさせられたゲームはPS2の「どろろ」かな。

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  2. >dさん
    記事書いたあとにもふと考えてたんですが、「RPGなどを戦闘が主であるゆえにみるみるうちにキャラクター達は手駒に」と書きましたがそこに情緒的なゲームプレイを目指してたものあったなと。
    「俺の屍を越えてゆけ」などの桝田省治の世代交代RPGだとか「ヴィーナス&ブレイブス」など。
    あれは単純なハック&スラッシュやガチガチの変形テーブルゲームのようなルールでありながら
    そこにプレイヤー自身のゲームプレイの中から紡がれる感傷的なドラマもあったように思います・・・と自分で自分の記事に反論してしまいましたが・笑
    >個人的に一番仲間を感じさせられたゲームはPS2の「どろろ」かな。
    まさかの盲点!たしかセガ製作でしたよね。ゲームシステム的に上手くやったものなのでしょうか。

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  3. >ゲームシステム的に上手くやったものなのでしょうか。
    思い出補正もありますし、何より原作ファン故の身びいきもあるんで、あまりアテにされても困るんですが…
    システム的にそれほど個性的という訳でもないんですが、運命共同体ではないが故の「いてもいなくても良いけど、いないとなんか寂しい」という原作どおりの絶妙な距離感がちゃんとシステム上で表現できていたと思います。
    原作では打ち切り故に半端なラストで終わっていますが、ゲームではラストで相棒を運命共同体として結びつけ、相棒の掛け替えのなさを再認識させると共にヒロインに昇華させています。
    プレイしてる最中はあまり意識しなかったんですが、今考えると相棒の表現にかなり力を注いでいたゲームだったんじゃないかと。

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  4. InfocomのPlanetfallに出てきたロボットFloydに遡っても、数値的な戦略の関わらない、自立性のあるNPCは情緒的なムードを呼び起こしやすいみたいですね。
    米CRPGだとBaldur's Gateなんかは、戦略性の高い戦闘とNPCへの思い入れを同居させようと努力してましたが、やっぱりちょっと上手くいってないというか、不定の部分と定型の部分がかみ合ってない感がありました(Mass Effect以降のBiowareゲーはやってないんですが、その辺どうなったんでしょう?)
    私の場合、なぜかローグライク系のゲームについてくる仲間(aとかbとかの記号)に感情移入する事があったり。大して役に立たないどころか、勝手に動き回ってバカな死に方をしたりもするんですが、完全やり直し不能の縛りと、あと記号表示が逆に作用して(脳の補完力は地味に強い)、あれがなんとも妙な実在感があるんですよね。

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  5. > Quaint さん
    けっこードヤ顔で毎度更新してるこのブログ、
    ほんとはかなり過去の欧米PCタイトルには疎かったりします…
    テキストアドベンチャーのInfocomのPlanetfallのアプローチ、
    ホント今調べたという体たらくですが、
    アドベンチャーゲームという「(ほぼ)ただ一つの解」を導き出す
    パズル性が基調であるメカニクスでこそ、
    物語とシンクロする面白さが出ると考えています。
    つまるところ、ゲームのインタラクティブ性(プレイヤーが何らかの行為を介してゲームが応答)や
    メディア性(視覚的・物語的な面白さ)をもっとも表現しやすいジャンルかと見ます
    しかし、ビデオゲームは「提示される相手や問題とルールに沿い、戦略を練って競い合う」
    競技性ってのが当然ながら大きいです。
    RPGになるとそこにキャラクターのステータスをいじくり増やすだとか、
    敵をいかにして効率よく倒すか、強化したキャラクターで蹂躙するかという
    競技でいかに勝つか?という競技性から

    そのためにキャラをどう強化するか?というインタラクティブ性
    の方面の比重が高いために、物語やキャラクターへの感情移入を促すデザインと
    離れやすくなるのではないか、と考えています。

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