「LIMBO」のクリエイター最新作「140」感想と考察・「ジャンプACT」「音ゲー」「シューティング」の根源をユニゾンさせる実験

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 白黒の影絵の煉獄を旅するアクションパズル「LIMBO」で名を上げたリードデザイナーJeppe Carlsenの最新作「140」のレビュー。

 「thomas was alone」「proteus」など近年には徹底してミニマリスティックなビジュアルに絞ることで、ビデオゲームの持っているある要素を再構築・再提示するコンセプチュアルな作品が目立つ。

 今回の「140」もそれらにたがわずビデオゲームの根源的なある要素を提示させようとしている作品なのだが、ではそれはなんなのか?

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 基本的にはここのところのiosでも少なくなく見かけるプレイアブルキャラが正方形だけで提示されるみたいなビットのジャンプアクションだ。基本的な進行はシンプルなビジュアルの中でタイミングを合わせてステージを踏破していくスタイルで、こうした「2D横スクロールジャンプアクション再評価」ってのはここのところスマホ界隈などで頻発しているためにその点での根源性に関しての味わいは薄い。

 だがしかし、そこに一つのガジェットが加わることにより一つの面白味が生まれる。それは「音ゲー」の要素だ。「140」では比較的シンプルな構成であるテクノのテンポやリズムといったシーケンスにステージが呼応して動くのである。BGMを聞きながら、そのリズムの流れを読みながらステージを踏破していくことになる。

 こうした仕様が提示しているのはビデオゲームにおけるプレイヤーの入力の感覚、出力される映像、そこに一致するBGMそれぞれの根源的な関係だ。昔からスーパーマリオブラザーズの作曲家・近藤浩治のインタビューなどに詳しいのだがアクションゲームのBGM作曲法というのが「ゲームでマリオなどのキャラクタが動くゲーム特有のリズムに、音楽のリズムを合わせて作曲しないと、ゲームには合わない」とし、「ゲームが他のメディアと違うのは、リアルタイムに反応があるということ。このインタラクティブ性を生かしたサウンド作りをする、サウンドのアイデアを盛り込むことが一番重要だと考えている」としている。「braid」アストラルゲート様のアナライズでマリオの脱構築だっていうのがあったけれども、ある意味ではこれもまたマリオはじめ2Dアクションの構成の脱構築の一つかもしれない。

 

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 ビデオゲームの音とのインタラクションというのも、短時間での興行であるアーケードゲーム界隈の文脈を振り返れば日本における音ゲーの草分けである「ビートマニア」などもふと思い出す。

 あれはシューティングゲームなどが持っていた競技性のシンプルになった形ではないかとも見え、それは3,4分の短時間でテンポいいBGMの中を敵の出現を読んで迎撃回避をプレイヤーは入出力していくことで生まれる快楽、という要素を極端にまでそぎ落とし、音を奏でるポイントのタイミングに合わせてボタンを押していく入出力で音楽を演奏してる錯覚が生まれる快感というか。短時間でプレイヤーの瞬発や感覚を競わせるアーケードのシューティング~音ゲーラインの系譜も感じる。まあこれはオレ個人の勝手な妄想だが・・・

 さらにさかのぼって「音と映像にインタラクションする快感」の根源に関しても初期PSの傑作「パラッパラッパー」このテーマに関して制作者が言及していて面白い話があるのだが、「パラッパラッパーはプレイヤーをだましている」といい、それは「インタラクティヴィティを錯覚させている」ということらしい。まだ音ゲーというジャンルが成立する以前、いかに音楽と映像に加え、プレイヤーの入出力を一致させるかという新たなテーマに直面したとも見え、音楽そのもののインタラクションなら「ビートマニア」だし、映像もインタラクションも総合して表現するなら水口哲也作品「スペースチャンネル5」から、根源のフレーム表示にしてより音と映像と入出力のユニゾンを目指しただろう究極系の「ReZ」などが洗練させようとしていたと思う。

 かくて横スクロール2Dジャンプアクション~縦スクロールシューティングゲーム~音ゲーというジャンルのアクセスにより、それらの根源にある入力と出力と音がユニゾンし、一気に世界が塗り替わってゲームが進んでいくという点に美的な価値を生み出そうとするコンセプトがあると見えるのだ。

 さて、ひととおりクリアしてみてどれだけそのコンセプトを完遂しているか?というと物足りないところがあるのも確かだ。こうした音ゲーの要素が重要な作品はBGMのシーケンスやリズムと合わさったステージギミックが結果的にプレイヤーが入力してそれで映像と音の出力が一致することではじめてインタラクションした、音楽を奏でたという実感が生まれ、それが快感に繋がるのだけども本作は全体的にそれが薄い。

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 ステージギミックをBGMのタイミングに合わせて入出力して奏でる、ではなく、BGMのリズムを読んで出現する足場であったり一撃死のポイント(このゲームではそれはTVの砂嵐を現しており、触れて死ぬ瞬間にBGMを乱すノイズが流れるとアート方面のコンセプトは徹底している)が移動したりするのをジャンプで避けて進むという形なので、ジャンプアクションがそのままBGMを奏でていくというもっとも美しい瞬間というのにはどうしても届いていない。ステージの終わりのシューティングスタイルのボス戦に至ってはよりBGMと入力との乖離感は大きく、想定されるコンセプトに比べて直観的で皮膚感覚的な快感には結び付きづらい。

 これはコンセプチュアルアート傾向の作品がどうあがいても陥る弱点ともいえ、特に「140」「Dear Ester」「proteus」のようにFPSの持ちうる性質をインスタレーション表現みたいなそれではなく、より直接プレイヤーとの攻防が必要とされるアクションゲームや音ゲーの構造であるがためにこうした物足りなさが発生している。

 近年は「音と映像と、プレイヤー入力のインタラクション」の三者がそろうことによる表現の追及をジャンル問わずトップからボトムに至るまで見かけるのだが、本作はACTやシューティングといったジャンルにてそれができるかどうかという実験性が際立っている。

「140」はsteamにてリリース。

 

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