「the last of us」「the walking dead」などアメリカのポストアポカリプスの精神に繋がる文学・コーマック・マッカーシーの小説~映画「悪の法則」まで

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 もう北米のビデオゲームシーンから世界の終わりをサバイブする体験が数多く繰り出されたのだが、ここのところ「the last of us」「the walking dead」ゲーム版などは単なるゾンビが覆いつくし、破滅した世界を生きるというジャンル映画やアクションやアドベンチャーといったジャンルゲームの領域を超えた構成を取っており、そしてもちろん「主人公が追いつめられた状況の中で少女と出会い、生き抜く中で擬似的な親子関係を紡ぐ」というところまで似通っている。

 さらにこの2作がインスピレーション元にしているのでは?と一部で語られているのが「the Road」という小説だ。これは世界がどうやら崩壊した中を、名もなき父と子が残虐な現実を旅することを詩的に描いたものだ。

 しかし、この小説は単なるポストアポカリプスってことじゃなく、もしかすると逆にアメリカにおけるポストアポカリプスの表現の奥底を付いている側面があるのかもしれない。というのも、ポストアポカリプス下の残酷さと抒情性の共存とは、この小説の作者であるコーマック・マッカーシーの小説全てに繋がるテーマであるからだ。

 ということで今回は近年数多く見かけるポストアポカリプスとコーマック・マッカーシーの小説が繋げるアメリカの精神的光景のひとつに関しての考察。

 

 

 

 それは日本のアニメや漫画の界隈でも「AKIRA」だとか「北斗の拳」だとか破滅の未来というのは事欠かないのだが、アメリカのビデオゲームから映画・ドラマで描かれるポストアポカリプスというのは時に根源的な印象を残す。

 それは何か?世界がどうであれ崩壊し、広がる荒野への旅路でともに連れ立つことになる親か友達、または犬や狼といった相棒とともに、否応なしに残酷な現実に出くわしながら生きていく。

 簡単に書けばたったこれだけの要素で、これは「the last of us」「the walking dead」そういう光景が基礎にあるし、「Fall out3」もそんなアポカリプス光景の連続だ。

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 さてコーマック・マッカーシーの小説「the Road」はまさにそんな典型的とも言えるポストアポカリプス下の残酷さと淡い詩情を表現したものであり、なぜ世界が終ったのかといった原因や世界の情勢や背景といった外部のロジカルな世界を描くのではなく、残酷な世界の中を名前を持たない父と子の旅路の中で感じる体験や内面の感情そのものを描くことを主にしている。

 まさにそういう点に先の2作は似通っているし影響があるのでは?と目されているのだけど、自分が思うのはその点だけじゃない。「the Road」を通してコーマック・マッカーシーという作家のテーマやモチーフを掘り下げていくに、描かれる題材が現実であるにしても過去の歴史であるにしてもそのほとんどがその実「どこまでも続く荒野や平原の美しさ、そして残酷な現実を旅し生きる少年・青年」というのが通底している。

 ポストアポカリプスは「核戦争」であるとか「アウトブレイクによってゾンビが覆いつくす」といったガジェットによって世界を終わらせることから「SF」や「ホラー」といったジャンルにカテゴライズすることが可能になることから多くがスタートしている。そうしたジャンルの前提が「the last of us」「the walking dead」もあるのだが、ビデオゲームの進歩の中で単純な「ゾンビを倒して脱出してクリア」「破滅の世界の原因突き止めてクリア」というジャンルの目的ではなく、極限の追いつめられた世界の中でプレイヤー自身がどう感じるのかを試すストーリーラインを組んでいる。

 マッカーシーの小説はある意味ではそうしたジャンルにカテゴライズされるような「世界の破滅」の理由なしに、その舞台が現代や西部劇であろうと極めてポストアポカリプス的な荒野と残酷の世界を提示する。その世界の残酷さと淡さの根拠となるのは核戦争でもアウトブレイクでもなく、アメリカとメキシコの国境間という法的な関与やパワーバランスがあやふやな場所だ。これはビデオゲームでは「レッド・デッド・リデンプション」やメキシコ麻薬戦争を舞台とした「コールオブファレス・ザ・カルテル」が取り入れている舞台でもある。

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 マッカーシーのヒット作となった「すべての美しい馬」や、コーエン兄弟の映画「ノーカントリー」の原作となった「地と暴力の国」などはまさにアメリカとメキシコの国境を越えた旅路の中で、その荒野の風景に合った詩情と抒情のある文体と裏腹にあまりにも露骨に死と暴力という理不尽な残酷性が露呈しており、読者であるあなたの意識に限りなく近い、世界について何も知らぬ主人公の少年は否応なしにその無情さに触れていくのだ。

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            アメリカとメキシコを分ける鉄柵の国境線

  
 マッカーシーの描く世界がポストアポカリプス的な抒情と残酷に繋がるのは文体と視点によるのも大きい。

 マッカーシーの小説では登場人物たちの会話でははっきりと会話パートである、と示すように発言が鍵括弧でくくられない。まるで詩のように並びつづられ、それは心の中で語られるモノローグのようにも映る。

 しかし抒情と淡さのある光景の中で主人公たちが導かれ、語られるのは誰一人救いはしない残酷かつ無情な世界だ。抒情と無情の共存、このあたりは日本の村上龍とも近い構造を持っているとも言えそうだ。

 特にアメリカーメキシコ間という国境線上の法的な関与がおよびにくい場で数多くの移民が行き来し、犯罪の温床ともなっているパワーバランスの曖昧な磁場をもつこの場所はマッカーシー作品の重要なモチーフとなっており、そしてこの場所こそ核戦争やアウトブレイクなしに、現代の先進国にてポストアポカリプス光景を現実に提示しているとしか思えない場所となっているのである。

 その根拠となりえるだろう逸話はこれだ。アメリカとメキシコの国境、テキサス州のエルパソからメキシコに入ってすぐに、シウダーフアレスという町がある。この町で殺人事件が起こる。

 それだけならただの良くある事件だ。ところがこの殺人事件の被害者は死者は500人を超え、行方不明者を合わせれば5000人以上もの女性が被害にあっているという壮絶なもので、公式に認められた事件の発端は1993年、なんとそれから現在にいたるまで事件は様々に派生し継続しているというのだ。

 このあたりの話は詳しくはこちらのサイト映画評論家・柳下毅一郎氏のこちらのエントリが詳しいのだが、ここまでの事態の要因にはアメリカーメキシコ間の社会の摩擦、と簡単に口当たり良くまとめることさえままならない。国境線上であまりにもいびつに入り組み発生したこの事態は、観るものにこの世界で感知しきれない部分があるということを思い知らせ続けている。

 マッカーシーはこのシウダーフアレスをモチーフにした作品に現在公開中の映画「悪の法則」「ブレードランナー」「プロメテウス」のリドリー・スコットとタッグを組み、主に脚本を担当している。

 これは現代劇であるとはいえ「かつて見知った文明が崩壊し不条理な混沌へと生きることになる」というのをポストアポカリプス的な光景の構造というならば、ゾンビもフォールアウトがなくとも構図としては近似している。

 マッカーシーが脚本にて描くのは世界に存在する暗黒や不条理など考えもしない人間が、どうしょうもない暗黒部分に触れ没落する物語だ。婚約者との結婚を控え、前途洋々のカウンセラーと呼ばれる弁護士が、ビジネスの一つとしてシウダーフアレス周辺で行われている麻薬取引に関わることになる。

 カウンセラーは依頼を受け麻薬の運び屋を釈放させるのだが、しかしシウダーフアレスでの麻薬の利益を巡り凄まじい殺し合いが置き、その運び屋が殺されたことで取引ができなくなることによりカウンセラーの周辺が麻薬カルテルのターゲットになるのである。

 こうして幸福な結婚や未来を控えていたはずのカウンセラーが、先述したようにこの世のどうしようもない暗黒や不条理があるシウダーフアレスに触れることになる物語なのだ。登場人物たちはマッカーシーの小説のように各々が自身と世界の捉え方や生き方について語るのだが、白眉となるのは後半のカウンセラーとカルテルのボスとの会話だ。ここにこの世のどうしようもない暗黒を知らなかった主人公が地獄から電話を受けているかのような気配を漂わせている。

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 このようにアメリカとメキシコの国境線上という荒野の抒情と、シウダーフアレス事件に象徴されるこの世の残酷性と無情さ、不条理というものをマッカーシーはそのジャンルが破滅の未来のSFだろうと西部劇だろうと青春小説だろうと犯罪小説だろうと描いて見せる。

 

 そしてその抒情と無情は「the last of us」「the walking dead」にまで繋がっているかに見え、マッカーシーの作品を経由することで実のところアメリカのポストアポカリプスの原風景というのは現実に存在していると思わされるのだ。

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