「アウターワールド」は20年早いビデオゲームだった 「アンチャーテッド」を90年代にとっくに実現してた感さえある

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 発売当初ではあまりに逸脱したスタイルでありながらも、その特定のジャンルに回収されないかのようなアートスタイルとヴィジュアルによって数多くのゲームクリエイターから名前の挙げられることの多い「アウターワールド」

 最近になってios版をクリアしたんだが、遊んでいて痛感させられたのは「これはやること為すこと20年は早い」と全編にわたって思わされる出来であり、まさしく初代発売の1991年それからiosエディションリリースの2011年の期間そのままに後で効いてくる要素が全面に渡っているのだった。

 

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 基本的には横スクロールでマップの謎やパズルを解きながら、敵との銃撃戦を行いながら進んでいく「メトロイド」だとか「悪魔城ドラキュラ」系統のアクションアドベンチャーとジャンルを大別できると思う。

 がしかし、発売された1991年当時なんて考えるとこの作品の構成は逸脱しまくっている。それは何か?というと、まずものすごくゲームメカニクスが見えない。ゲームのルールというのがまったくといっていいくらい露骨に表示されていない。

 どういうことかというと「どれだけ敵の攻撃を受けたらゲームオーバーか」体力表示などが全くないことや、装備してるアイテムのインベントリ画面やアイコンがあるわけでもないし、敵を撃破したらお金が出てくるとかリロード用の銃弾がでてくることで買い物をするとか戦略を練るとかいった「ゲームメカニクスとルールに伴う情報」というのが画面に提示されないしそういうシークエンスもない。そこがかなり異質。

 さらに異質ってのはもうプレイヤーのゲームプレイの入出力の実感が違いすぎる。「アウターワールド」のレスター教授はジャンプボタンを入力してもスーパーマリオのように即座に軽やかに飛びはしない。飛ぶために体を曲げて前方にわずかな距離を飛ぶあまりにリアルな動作だ。ぶっちゃけゲームでリアルなモーション徹底するとプレイヤーの入出力の操作の感覚に誤差が出るため気持ちよくはない。

 1991年なんてまさにグラフィックス演出なんてゲームメカニクスをより分かりやすくより快感を派手にするための要素であって、徹底して残機の表示から体力表示を消すことは異色であり、マリオやロックマンのように「ボタンを入力したら即気持ちいいジャンプやショットが出力」なんてこともない。当時の家庭用ビデオゲームの同ジャンルから比較すればといびつ極まりなかった、というのは少なくないクソゲーの評価をネットで目にすることからわかるくらいだ。

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 それでは「アウターワールド」ならではの気持ちよさ、心地よさは何か?というと、それこそスーパーファミコン版の箱に書いてあるような「映画的な表現」とアクションアドベンチャーの流れの綺麗な一致ということに尽きる。そしてそれこそが今日の「アンチャーテッド」にさえ繋がっていく「アウターワールド」ならではの20年先に行ってる仕様だと思う。

 レスター博士が異世界に飛ばされてから、生き延びるにしろ謎のクリーチャーの襲われ死ぬにしろ立て続けに通常の横スクロールアクションアドベンチャーの中でカットが変わる演出が数多く入る。こうした映画的なクローズアップ・カットをアクションに含めた演出法は現在では「GTAV」でも珍しくない非常にオーソドックスとなった方法だ。

 さらに「アンチャーテッド」などは露骨なほどの体力表示といったゲームメカニクスの情報を記号的に表示することも現代のゲームは避けたデザインにしている傾向がある。これも徹底して映像や世界観への没入観やリアリティを受け取るためにそうしたゲームデザインへと変貌していったのだと思う。

 そしてもう一つ特筆しておくべきなのはほとんど一切の説明やセリフ回しといったストーリーテリングを排している点もかなり大きい。

 ゲームプレイヤーが初見でビデオゲームの情報を受け取るゲームメカニクスの数値的・記号的情報に加え、そこに覆いかぶさる世界観や人間関係などといった部分への解説がほとんど為されないという両面に渡って記号的な理解を避け、すべてを目の前の画面とプレイヤー自身の体験そのもののみに絞っている。これもまたリリース20年後の現在のシーンでは少なくない。

 いささかこじつけになるかもしれないけど、作者であるエリック・シャイがほぼ1人で作り上げたという個人性の強い製作スタイルで斬新な構成を生む、という構図にしても、現在大きく注目されるインディーズ界隈のクリエイティヴィティを想起させられる。(「LIMBO」あたりが近いだろうか)

 2010年代になって様々なレベルでビデオゲームの光景は変貌し、今やゲームメカニクスが丸出しのようなゲーム体験は少なくなり、より情報を絞ったビデオゲームの体験に寄った作品が数多く現れた。そんな現在こそ「アウターワールド」はとてもスムーズに理解できる。


 

 

  

今回プレイした「アウターワールド」はiosバージョン。

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2件のコメント

  1. こっちの方面はとりわけザルなもんで非常にアバウトなんですが、UIを廃した現実感重視の操作性は、プリンス・オブ・ペルシャの系譜に属するものじゃないでしょうか(遡ればもとはカラテカですがw)
    PCゲーム方面だと、同年にアウターワールドと同開発チームのアクションゲーム、フラッシュバックが出ていたり、翌年にはバイオハザードの先駆者アローン・イン・ザ・ダークや、雰囲気重視のパズル系アドベンチャーで有名なMYSTが登場したりしているので、この時期は70~80年代の地道なアプローチから、現代の映画的演出ゲームへの移行の始動期という感じがします。

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  2. >Quaintさん
    この記事もいま読み返すと荒いすね・・・
    そう、ジョーダン・メックナーのロトスコープを利用したアニメーションによる
    より具体的な映像体験をゲームで表現するっての、丸抜けにしたまま
    褒めすぎてるというヤバい記事になってますね・・・
    3D化以降の空間表現、映画におけるカットの感覚などなどや
    映画による演出による感動の面と、
    ゲームプレイのインタラクションの結果による感動を繋げるというのは
    今も開発され続けているテーマと思いますが、
    限られた技術環境の中でいかにそれやるか?ってのは
    やっぱ面白いです
    インディーゲームではこの時期のリバイバル・リミックスを
    いま活発にやってるかに見え、
    アウターワールドのあのグラフィックスとトラッドなピクセルアートが
    重なるイメージをカピバラゲームスあたりが見せてる印象す

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