アメリカの海岸からの、東日本大震災の被災者への祈り「9.03m」

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 震災から3年が経った。未だに地震が起きる以前と、地震が起きて以降の数カ月の状況には鮮明に覚えている。オレが住んでいるのは関東の内陸部であったために、影響があったのはこんなわずかな部分だ。

 地震による津波で福島原発がダウンしてしまい、2,3日電力は断たれ、インターネットはおろかテレビも利用できないため外部の情報は遮断され、夜は真っ暗闇の中で過ごした。その後に電力が復旧したことによって、まずはじめにPCで情報を得ようとして真っ先に目に入ったのが世界から送られた”Pray for Japan" のスチール写真だった。

 そこで初めて事態の壮絶さを身に染みることとなり、東日本の恐るべき災害の映像を目の当たりにすることとなった。電力のインフラが崩れたことで、街は計画停電が実地され、近くのBOOK・OFFもスーパーもほとんど電気は付けず、薄ら暗い中で営業していた。

 

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 オレが被災した部分というのはわずかにそうした範囲であったため、巨大な津波による崩壊を受けた東日本を見る時、それは諸海外からの”Pray for Japan" の写真のような立場に近かった。

 震災より月日が経ち、アメリカの海岸にはあの津波にさらわれていったものが流れついていったという。その流れ着いた水面に浮かんでいたブイからバイクのような乗り物までを見つけて、それを持っていた人たちのことを想像したり、そこで起こった災害の大きさを感じ取ったことだと思う。

 「9.03m」とはそこからインスピレーションを得た短編のアート・インスタレーション的なビデオゲームだ。青い白夜の海岸の中で、蝶々を探すことをその目的にしている。砂浜の上に佇むひとりの影。そこへ徐々に近づいていくと、影は消え、ひとつのサッカーボールや、オルゴールが目の前に現れる。

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 影は、海岸に流れ着いた遺失物の持ち主のものだろうか。遺失物には蝶々の模様が刻まれており、見つけるたびに蝶々は飛び去っていく。蝶々が飛んでいく先で海の潮が引いていき、様々な影が現れる。それは恋人たちか、青年か、子供か、親か。

 蝶を追い、海の潮が引いていった果てにたどり着いた光景は、それは紛れの無い祈りの光景そのものだ。

 あの震災のあと、福島原発の事態も含めて数多くの人間が「震災後の意味は」「福島の後は」などと当時から閉塞していた日本の状況でここぞとばかり社会的な意味付けを求めようとしたりする言葉を吐き、ある意味でそうした言葉によってこの事態は別種のものへと変質しかねないようだった。あの震災は言論の周辺によって、閉塞した時代変化であるとか、時代性を意味づけるそれではないはずだ。そうした言説で現実が出来ていた90年代じゃない。

 乱暴な言い方になるかもしれないが、災害は飽くまで災害であり、本当に確かなのは、時代性や時代変化云々という言説などではなくただ一つ、そうした祈りの光景だけだ。

途方もなく感傷的なゲームだが、しかし感応して泣くことは許されない。どこまでもただ一つの祈りを体験するものだ。
 

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