世にも奇妙なUBI

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どうでもいいが上のパロディなんかかわいいよね

 現在のUBIソフトの評価というのはどうなのだろうか?コンスタントに人気IPをリリースしている、AAAタイトルを扱う会社として優れた会社の一つ。常にリニアなだけではなく、自由度やキャラ成長といったファンが望む部分も追求する会社。一転して事前のプロモーションよりも遥かに劣る内容の詐欺的な会社。いろいろあるだろうがまあなんだ、デベロップメントでもパブリッシングでも様々なトップクラスの会社が存在している中、UBIの作品ばかりは特に奇怪な印象や後味を拭いきれない事が多い。

 インディペンデント勃興とともにダウンロード市場の拡大によって「チャイルドオブライト」「バリアントハート」などで、小規模ながらコンテクストの闘いを行っている最前線市場に参戦。そしてAAAタイトルではいよいよ「watch dogs」発売で大きく沸き立っているし、年末には「Far cry4」もリリースされると言うし、来年には「the division」が控えている。一種のUBIイヤーと言える今こそ「あのUBIならではの奇妙な後味は?」というエントリ。

 

 他のAAAタイトルを取り扱う会社の作品ではそれほどこの奇怪な後味を味わうことは無いんだが、近年のUBIにはその奇怪さがある。それは特に「ビデオゲームとプレイヤーという関係そのもの」「ジャンルそのもの構造」への暗示やアプローチが含まれているからかもしれない。言い換えればメタフィクショナルな、だなんて言いたいがこの言葉も使われ過ぎ、関係性を見せようとする異化効果も安易に使われ過ぎて言いたくないがまあいい。

 そうだな…日本商業アニメ界で言えば押井守が常にそういうアニメーションのアプローチを行っていると言えばわかりやすいところかもしれない。でもUBIはたとえばドイツのyagerの「spec ops the line」のようにアメリカ海軍の侵略戦争的なシューターの構造を限界まで突き詰め、プレイヤーに突きつけるところにまで生々しく表現はしない。メインシナリオもメインキャラクターも比較的凡庸で、単純でわかりやすい振りをしている。でもそんなわけはなく、敷き詰められたガジェットの中からただのエンタメでは終わりたくないような、何かプレイヤーとビデオゲームとの関係を見だそうとしているのが見える。

 最初にUBIの奇怪さを感じたのは「スプリンターセル 二重スパイ」だったか。あの時代はまだ中東戦争の問題が継続した時期にあって、さすがにフランスに本籍をおき、カナダに製作会社UBIモントリオールスタジオゆえなのか、仮想敵を作り単一なアメリカの正義を遂行するようなスパイにはしなかった。

 ゲームメカニクスには異様な変更があり、まずシリーズで重要だった影の存在が薄く、ほとんどのマップが陽光にさらされている。デザインの変化だけじゃない。主人公サムの娘は死に、茫然自失となった中テロ組織に潜り込む。敵対組織との信用も得なければならない二重スパイとなり、信用のためなら同じ仲間をも撃ち殺さなければならない。正義と大義なき瞬間に突入したゆえの葛藤。それがメカニクスを飛び越えた異色作。

 その次は「アサシンクリード」だ。あれはシリーズを繋げるために便宜的につけたってことらしいんだけど、現代からアニムスというマシンによって遺伝子をさかのぼり各時代のアサシンの記憶を呼び覚ますというあの構図が果たして必要なのかどうかは当時から現在に至っても謎だ。

 デズモンドがアニムスによってアサシンの時代へと遡るのは、それはプレイヤーがビデオゲームへと介入しようとする構図そのものだ。「遺伝子のシンクロによって体力表示」「マップでシンクロによってアクセス。ストーリー上進めない場所はアクセス不能という構図」がアニムスのメカニクスによって表示されるが、それはまるでビデオゲームの構成や構造をメタに表示させていることそのものだ。第2作のラストだったか、最後に語りかけるのはエツィオでもデズモンドでもなく、それを貫き明らかにプレイヤーに直接話しかけるような気配すらあった。

 その他には「Far cry2」では内戦地のアフリカで外国から人稼ぎしようと介入するという構図を優先し、単一な自由度やシューターというメカニクスの面白さで高らかに正義や善を積み上げると言うものにはしなかった。「二重スパイ」のように侵略や一律な正義の遂行から距離を置いている。トム・クランシーのゲームでタクティクスのメカニクスの面白さを作っている一方で、しかるべき陰惨な現実をデザインするうえでゲームメカニクスを歪める行為を含めている。

 「Far cry3」にしても「地球には帰りません」のこのエントリが一部有名であるし、やはりUBI、特にモントリオール作品にはなにか現実というものとゲームメカニクスの関係性や、そしてビデオゲームとプレイヤーとの関係性というものまで、公にはしないがその裏側でコンセプトに入っている。

 そのことはどこまでも奇妙だ。ケン・レヴィンは「バイオショック」シリーズではっきりとFPSでのプレイヤーとビデオゲームの関係性を提示するし、「the stanley parable」ではシューターからアート・インスタレーションまであらゆるFPSの表現やラインを提示しきって見せた。だけどUBIは決して生々しく公にはしない。公にしないし、気づいている人は暗示の含まれたタイトルごとにその裏を読み解く。

 普通あるディレクターや、独立会社やチームがビデオゲームの構造を見せつけプレイヤーとの関係を問うたり、現実というゲームメカニクスを軽々と越えていく要素を混ぜ込むデザインを行うことがある。だがUBIはほぼコンスタントに、強力なIPにて、そうした暗示を含めた作りをしているのだ。そこに「自由度」「オープンワールド」などなどのメカニクス強化のデザインさえ含めてだ。

 「watch dogs」はまさにそうしたUBIらしいオープンワールドの結集そして批評的な作品に見える。純粋な垂直進化面の一方、批評的なカウンターの暗示も常に両輪としていて、そしてトップセールスを生み続けている。そのことがとても奇妙な後味を常に残していく。

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7件のコメント

  1. 自己批評的なテーマを描きながら売れるって感心します。
    やっぱ隠しかたが上手いんですかね。
    公にされると嫌味に感じちゃうし、さじ加減のバランス感覚もいいんでしょうね。

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  2. >saboo さん
    構造を暗示させたりゲームとプレイヤーの関係暗示させたりとか
    構成的に本来必要のないレベルであったり、またゲームプレイや作品世界を
    崩すレベルであったりなどAAAタイトルホルダーの手前、やんなくてもいいことなんです
    でも一方、ビデオゲームの構造や関係ってのをメタ化することも完全にやりつくすかといえば
    そうではない。(文中にありますが一時期はなにかそういう気配はありますが)
    暗示するにとどまっている程度。大きな声でネタバラシをするようなことはしない。
    これが作家主義的にも商業主義的ともなにかカテゴライズしにくい。
    いまのUBIの作品の奇妙な後味です。みんなそれどう感じてるんでしょうか?

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  3. はじめまして。
    ちょっと前は微妙ゲーをつくる会社なんて評価もありましたね。
    多くのデベロッパーを抱え、コンスタントに新作をだすイメージもあります。
    コメントでも指摘されてるように商業主義とゲームが持つアーティスティックな面のどっちつかずな感じは奇怪ではあります。肯定的解釈でバランスが良いなんてどうでしょうか。
    個人的にゲームは尖ってナンボというのが私の趣向なので、これから次次世代機ぐらいにエッジのきいたゲームを作ってくれることを期待します。

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  4. スコアだけ見ると安打量産機のようでいて、
    その実、変化球ばかり投げているようでもある。
    私としてはバランスが良いという印象よりは
    不穏、という感じですね…。やらかしそうでやらかさない。
    分類しがたい独特さを上手く言葉に出来ないのですが。
    ただ、この会社の出すゲームはこれぞと感じたわけでもないのに
    どうも心に引っ掛かり続編を買ってしまいます。いや、好きです。意外と。

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  5. 快楽主義が横行してる大作群の中にあって
    ヨーロッパ的な理性主義というか自己批評的な目線を感じますね
    でも中途半端にも感じます
    どちらかにもっと寄ればいいのに

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  6. >(命名)魁!さかむけを痛くなくとりのぞく塾 さん
    コンスタントに大作IPをリリースするし、コンスタントゆえにとびぬけた完成度の
    洗練があることも少ないのですが、しかし何かそういう構造やらを見せる。
    その商業的なスタンスを堅持しながら、現実とビデオゲームの関係性を睨む。
    でも口には出さないし、鷹が爪を隠しているのか本当はバカなのかの判別がつかない。
    シナリオラインとかけっこーひどいことも少なくないだけにやっぱ謎なんですよ
    >かもめっしさん
    そう中途半端。でも完全に現実性やビデオゲーム構造を公にした作品は
    ゲームメカニクス的にも、商業的にも高評価を得られるわけではない。
    だから表向きは「ある島で自由にやれるぜ」とか「スマホで街にイタズラできるぜ」
    みたいな風味に見せてる。
    口に出さないし、鷹が爪を隠しているのか本当はバカなのかの判別がつかない。
    それをここんとこずーっと堅持してるから謎です。

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