WiiU新作に見る日本コンソール界隈が直撃してるゲームデザインの闘い とかいって

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 ソニーは建設業のほかになんと美容業界に進出、任天堂は健康事業へと進出と日本のプラットフォームホルダーが揃って別事業に迷走してる現状だが、その一方で今年のWiiUで発売される作品はどれも現在のゲームデザインのシーンから鑑みるに意味深い。

 そのラインナップを眺めるに日本のコンソール界隈のゲームが、どこかで生まれたかわからない空白を経て現在のゲームデザインで数多くのスタジオやクリエイターが切磋琢磨してる前線のテーマに真正面からぶつかる摩擦がどこか感じる。

 …とかいって気取りくさった口ぶりだけどごめん!WiiU買ってないです。そうものすごく単純に期待の新作そろってきてるからそろそろWiiu買ってみようかなという記事です…

ゼルダの伝説新作

 リンクまで馬から飛び上がってバレットタイム!時代の波に飲まれているのを感じる…

 

 もともと(ほぼ)リニアな構成からプレイヤーにいかにゲームの体験をデザインしていくか?ということを行っていたところがいよいよオープンワールドに着手していくケースが多々現れてる。今年なら「MGSV」、そして「The Witcher3」だろうか?それが最初からオープンワールドで世界観や生活感を先に構築するロックスターゲームスのそれのカウンターになってきてるのが面白い所だが…去年なら「シャドウオブモルドール」がたぶんその意味で良かったのだと思う。

 オープンワールドの源流のひとつとして語られることも多い「ゼルダの伝説」だが、その構成は徹底したメカニクスの上にあり、不確定要素によるカオスというのを良しとはしない作風である。そのゼルダが現行のオープンワールドに向かうと言うことは、搭載されているアクションに合わせた一切の無駄のない構成によるオープンワールドであり、言及難しいけど基盤はネメシスシステム抜きの「シャドウオブモルドール」の構成が適当のような気もする。

 

 

スプラトゥーン

 任天堂サイドによるマルチのシューターデザインという、日本&コンソール主体型のゲームデザインと海外&PC主体のゲームデザインのとてつもない距離を埋めるアプローチが印象深い。

 それゆえか去年なんでかいろんな人がやけに語って一部で無駄に荒れたりしていた。(しかもなんでか無暗に任天堂や宮本茂を神格化するようなひとばっかり神格化するかのように語っててPCゲームユーザーでカウンターストライク1000時間やってるようなひとは一切語らないでやんの)近年では埋まっていたかに見えた、日本コンソールの象徴たる任天堂と海外PCシューターシーンとの摩擦の大きさを発売前から痛感させてくれた。

デビルズサード

 2000年以降に確立された日本のスラッシュアクションを代表するクリエイター・板垣伴信によるヴァルハラスタジオ作品。2011年の発表以来、音沙汰が無くなっていたところに去年に任天堂がパブリッシャーとなることが発表。いよいよ発売だという。

 傍目から見ても相当な労苦が背後にあることが予想されるのだが、2000年代のスラッシュアクションというジャンルを切り開いた神谷英樹を擁するプラチナゲームスの代表作「ベヨネッタ2」すらもパブリッシャーが付かなかったところに任天堂が手を差し伸べたのも合わせるとこの経緯は染み入る。

 以前にもまとめてみたが、日本で特に独自発展したスラッシュアクションと、海外で主流であるFPS・TPSのミックスというアプローチは、そのまま和洋が乱雑に混ざったアートスタイルに象徴されてる。

 スラッシュアクションのデザインのネクストレベルも「もっと競技性を高める」とか「ドラマチックに映画的にする」などもかなりやりつくされ、2009年の「ベヨネッタ」でほぼ完結し、その後に現チームニンジャの早矢仕が滅亡させつつある現状、板垣伴信はこのジャンルの次のデザインにシューターやマルチプレイの方面へと踏み込んだかに見える

 しかしスラッシュアクションのネクストレベルとしてFPS・TPSに乗り出すというケースはこの作品ならではのものじゃない。2011年の発表から今までに、スラッシュとシューターのミクスチャーはいくつも現れた。スラッシュアクションとシューターのミックスというのは実はグラスホッパーマニファクチュアの新英幸ディレクションによる「killer is dead」がさりげなく行っているのだが、これはシューター部分は飽くまでエッセンスのレベルだった。

 F2Pのマルチプレイヤーには「GunZ 2: The Second Duel」、そして最大のものではおそらく「WARFRAME」などなど、スラッシュアクションのエッセンスを抱えたシューターというのは決して少なくない。現に「デビルズサード」のマルチプレイヤーのトレーラーはどこかしらそれらの作品のムードを想起させる。

 例に挙げたF2Pは飽くまでほんとにシューターに加えられたエッセンスくらいなところなんだけど、くそまじめに考えても適切なバランスで混ぜられるものなのかどうかは全く分からない。

ロデア・ザ・スカイソルジャー

 これも2011年の発表から膨大な期間が経過したなかで、ようやくwiiUでの発表という経緯。ほんと血みどろ。こちらはパブリッシャーは角川ゲームスだが・・・

 本作の中裕二のデザインのポイントはおそらく90年代のセガサターンのころとほぼ変わっていないかのようだ。「ロデア・ザ・スカイソルジャー」ではぶっちゃけ世界観や設定、物語というのはさして意味を持たないだろう。そこには80年代~90年代型のゲームメカニクスの気持ちよさが先のデザインがある。それはリバイバルという感覚ではないし、「Nights」のあの感覚のままのような感じがある。(「Gravity Daze」と比較してるのをどっかで見かけたけど、フランスの漫画家の巨匠メビウスのアートスタイルを引用していたくらいヴィジュアルにこだわりあるそれとは違う気がしてならない)

 コンソールレベルで露骨なほどゲームのシステムやルールというのが丸見えになった画面というのを観るのはずいぶん久しぶりな気がする。現在ではスマートフォンのや、ダウンロード中軽量級のゲームで「Forward to the Sky」に近いくらい。では開発当初のwii、そしてwiiUというデバイスでしか実現できないインタラクションがあるのだろうか。

 ゲームデザインがいま闘っている命題はヴィジュアルから物語の問題、映画的な没入感とゲームプレイの違和感なき折衷であるとか、はたまたゲーム史の文脈を書き換えるなど数多い。しかし日本のコンソールサイドで正直そのあたりの命題と闘っているケースはマジでなかなか見ない。話題になるのはいつもくだらないDLC問題くらいだ。

 「ロデア・ザ・スカイソルジャー」はその中でも一切の命題には関わってないどころか、2000年代以前のゲームデザインを基調にしている。(いまこうした空中を飛び回るメカニクスの面白味のみを優先、という構成ならばボクセルアートによるビジュアルだとか、いっそ「Rez」みたいな抽象化や記号化を推し進めないとカウンターにならない)

 さて話がずれ込むのだが、旧セガで明らかにビデオゲーム史的に大きな功績を残したはずのクリエイターが、どうにも評価されきってないというかあんまり大きく語られてない気がしている。 

 宮本茂が歴史的な評価を受け続けるのはそのゲームデザインの上に、単純に大事なことながらセールスで結果を出し続けたゆえなので当然なのはわかるのだが、逆に神格化され過ぎバランスが悪い。中裕二や鈴木裕の評価というのはその経歴や為し得た功績を考えるに傍目から見て足りていないように感じる。これは日本でのビデオゲームの歴史的な評価や編纂に関してのバランスの悪さというよた話ですね…

ゼノブレイド・クロス

 高橋哲也作品は「ゼノギアス」のときには90年代のピリピリしたムードに充満した新しさがあったのに、「ぜノサーガ」になるとエヴァンゲリオンを引きずったまま80年代OVAのようなムードに後退していき、「ゼノブレイド」になると時代が後退するというかフランス人あたりが日本のビデオゲームにあこがれて作ったみたいなビジュアルになるのがおかしい。まあシリーズ通してキレのあるところやどうしょうもないとこ・かっこいいとこダサいとこの配分がめちゃくちゃ。

 「ゼノブレイド・クロス」は高橋作品の総括のようだ。ゼノシリーズを通した魅力である遠景まで広がる風景の美しさや世界の膨大な広がりにリソースの多くを裂いている。作品の顔にされがちなメインキャラクターのモデリングがPS2期のようであるが、実際のゲームプレイのほとんどは広大な惑星の探索のほうに集中するため気にならないかもしれない。

 なんとやなしに本作が一番、今のゲームデザインの命題と日本ならではのゲームデザインの距離感がいいのかもしれない。けっこうゼルダとかデビルズサードとか、わりと日本のコンソール中心らしいデザインを基調にしながらかなり世界の前線のゲームデザインを意識してピリピリしてる印象はある。


 こうしてまとめてみると期待の新作のほとんどに共通してるのは、もともとがかなり日本コンソール的な文脈の強かったものが近年に躍動する海外のPC界隈で切磋琢磨しているゲームデザインの前線に飛び込んでいくような気配だ。

 それはプロレスラーがバーリトゥードに出るとか、日本のリングで闘っていた総合格闘家が本場北米のUFCの金網に飛び込んでいくかのような向こうのルールへ飛び込んでいく摩擦のようだ。唐突な格闘技ネタの例えだが、その結果は…

 いやいや、ともかくWiiUの期待の新作は、日本のコンソール文脈と海外のPCゲーム文脈というのがかつてなく激突しあっている膨大な摩擦に魅力がある。なにせ映画表現の文脈とゲームの競技性を折衷させた象徴たるメカニクスの一つ、バレットタイムをほとんど映画表現の文脈から離れていたはずの「ゼルダの伝説」が使い始めているくらいなのだから。製品版まで採用されてる仕様かはわからないけど)

 なんてこんな書き散らしはどうでもいいか、wiiU買ってきます…

6件のコメント

  1. WiiUじゃないけどオープンワールド恋愛アドベンチャーの、
    『夏色ハイスクル★青春白書 ~転校初日のオレが幼馴染と再会したら報道部員にされていて激写少年の日々はスクープ­大連発でイガイとモテモテなのに何故かマイメモリーはパンツ写真ばっかりという現実と­向き合いながら考えるひと夏の島の学園生活と赤裸々な恋の行方。~』

    のレビューも期待してます。

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  2. 確かに今年の任天堂は野心的なタイトルが多いですね。
    ゲーム性を重視して、世界観を付け足す任天堂作品が
    世界観を重視して、邪魔にならない程度のゲームシステムを構築する海外タイトルの影響を受けて
    どんな作品が生まれるか?楽しみです。

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  3. デビルズとロデアは過去からタイムスリップしてきたから……なんつーか色んな意味でちょっとかわいそう。覚悟を持たずに戦場に立たされているようなかんじ。
    ロデアなんて開発時点で中さんがシームレスマップにしたかったのを角川からの注文でステージクリア型にさせられたとかいう記事をどっかで読んだ気がするし
    ただWiiUに限らず国産のオープンワールド系って増えましたね(いやまだ発表されただけかもしれん)。
    今世界ではマルチプレイモードもないとダメ時代のようにオープンワールドじゃないとダメ時代なのでしょうか(ドライブクラブとか面白いけど確かにちょっと無骨すぎるかもしれないとは思う)
    WiiUPS4世代の国産タイトルはわくわくというよりドキドキハラハラしながら見守ってます

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  4. 日本のクリエーターのバレットタイム好きは異常だわ。
    映画にしてもゲームにしても(ほぼ)20年後しのマトリックスへのオマージュにくらくらきちゃう。 
    あのケレン味あふれる無双感が好きなのかしら?
    ゲームキューブ版のmgsリメイク作にも何故かバレットタイムムービーが追加されてたわ。
    高校生ながらコレはないわなんて思っちゃった笑
     
    このシステムを導入するにあたって設定が欲しいのよね。
    時を司るアイテムだったり、血管が千切れるほどの集中力があったりね。
    もちろんストーリーの中核を担う要素じゃなきゃだめよ?
    もう使い古されて手垢まみれなんだから使う以上ちゃんとしてほしいわ。
    その点デッドスペースのステイシスは新しかったわね
     
    なんで私おねえ言葉なのかしら

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