ぶち撒けた脳漿 無い Hotline Miami2:Wrong Number レビュー

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 もしかしたら作り手が一生に一度しか訪れないような瞬間をものにしたかのような、とさえ思わされた「Hotline Miami」の続編。

 当然のように苛烈なまでに期待がかけられる。でも他のジャンルを見てもわかるように、作り手が一生に一度しか手にできなかったろう奇跡のような作品、その次回作であったり続編なりに続けて2度奇跡が起きるものではない。

  ましてや初代は些細な部分くらいしか批判は無いくらい美しくまとまっている。ここから足しても引いても、いずれにせよ美しさを損ねることはわかりきっていたことだ。(全盛期を迎えた人気ゲームのシリーズが長期化し、美しかった瞬間がどれだけ次回作だのリメイクだので損なわれてきただろうか)

 だけど何をしても美しさを損ねることがわかりきっているならば、徹底して付け足し、過剰にし、醜くなってしまえば逆に面白くなってしまう。そもそも「Hotline Miami」がICOだとかLIMBOだとかみたいに元来から美しいことを志向して生まれてきたゲームじゃないことはわかりきっていたことじゃないか。えーっと、どうせだし最近発売されてるネタにつなげれば「時のオカリナ」に対しての「ムジュラの仮面」みたいな亜種の切り方というか。ドラクエの3から4のような…なぜ「Hotline Miami2:Wrong Number」からもっとも遠いゲームを挙げてるんだ?ムジュラやドラクエ4は醜い面白さってことに…まあいいや

 当然作り手のその勘はもの凄い。美しくまとまってた物の崩しぶり付け足しぶりの手腕が激烈に面白い。もともとが4時間とかそこらで思いついたゲームを形にしていたというカクタスの事、二度目の美しさより速攻の発想を重ねたグジャグジャな面白さが上等じゃないか?

 


 そう「Wrong Number」は鼻っからグジャグジャに攪乱する。ナジーム・ハメドばりに遠目から惑わせ、冷静にこっちのアゴ先を狙うかのように襲いかかってくる。

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 AAAタイトルならば冒頭からプロデューサーからディレクター、キャストなどを表示してオープニングというありがちな奴みたいに幕があがるんだが、あれがいきなり架空の映画撮影。プレイヤーは殺戮シーンを演じることからスタートする。しかしやはりというか演技なのか本当に殺しているのかあいまいなままのシーン。

 

 スナッフフィルム撮影に続くのは、初代の事件後に現れたマスクのヴィジランテ集団。彼らはジャケットみたいに動物マスクを被り、ロシアンマフィアを攻撃し、窮地にいる女の子を救いだそうとしたりする。そうジャケットは一種神格化され凶悪なフォロワーに支持され、その受難をもコピーされるようになっていた。

 それは気が付けば初代がダウンロード中軽量級ゲームのモダンクラシックになり、数多くの熱狂的なファンに支持される状況に重なるかのようだ。初代「Hotline Miami」はそれだけではなく皮肉めいた評論家だとかさえ含めゲームメディアをはじめ、数多くの人間に注目され語られることになる。それはアートスタイル。それは音楽。それはストーリー。ハイテンションなゲームプレイ。

 そう「Wrong Number」「Hotline Miami」を巡り多くのゲーマーたちが語り、踊らされている状況に重なるように、狂気に踊らされるせつない人生の人間たちが踊らされる様がフォーカスされる。初代の狂気の象徴・鶏頭のリチャードに導かれ数多くの人間が幻覚や狂気、そして破綻に陥る。5人のフォロワーだけじゃない、連続殺人を追う刑事…過去の凶行を取材するライター…そして映画監督。ロシアンマフィア。

 

 フォロワーが元ネタよりも調子づいているなんてこともよくあることだ。シマウマのマスクはかっこよくドッジロールして銃弾を避けたりするし、白鳥マスクの二人組なんてのはチェーンソーと銃撃の二重奏、そしてクマのマスクは実にバカバカしく、そしてかっこよくダブルマシンガンで豪快に踊る。

 

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 初代よりも広くなったマップ。必然的にロングレンジからの銃撃戦が要求されるようになった。わざと銃声を鳴らしたり顔出しで敵を釣り出したりというレベルデザインの変貌。それは狭い家やビルに殴り込み単身バットやレンチで殴り殺していくジャケットの凶行を示しやすかった初代と比べ、せせこましい戦法を要求されるだのいう話もある。

 初代のマフィアの事務所のカチコミを体験させるレベルデザインも限界あるし、残るはステルスや遠距離からの戦闘を要求するデザインにしか広げようはなかったのかもしれない。作り手本人の主観でないとわからないデザインの限界点があったのかもしれないが、ある意味では本作のテーマ通りのゲーム体験を導くのに適切かもわからない。

 思い返してほしい主人公たちを。誰もかれもジャケットのように狂気を越えすらしない、せせこましい人生の只中にいるような奴らじゃないか。ある主人公なんて殺人に怯え、銃さえ持てず鈍器で自己防衛しかできない。狂気に陥るには必死にこっちが追い打ちで殴り続けさせなければならないような哀しい善人なんだ…そんな奴らのパーソナルを表すレベルデザインかもわからない。

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 ハワイ軍事編にしたって観方によっては「Hotline Miami」で言われている一つのルーツが現れているみたいだ。

 そうそれは多くの識者が指摘しているように日本のフリーゲームで有名なひもじ村「はかいマン」のイメージに重なるかのようだ。カクタスの生まれた年でもある1985年にて謎のぎこちないミリタリートップダウンシューティングに変貌する闘いにしてもそんな感じだ。

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 みんな踊らされる「Wrong Number」「Hotline Miami」にならないのがわかりきっているように、5人のジャケットのフォロワーはジャケットになることは当然できず悲劇とすら言いようのない無残な結末を迎える。1989年ジャケットと同じように動いていたデブも屑のように死ぬ。マフィアのボスは正気を無くす。誰もかれもジャケットのように美しい神話になんてならない。わかりきっているんだマイアミに導かれた主人公たちが無残に終わることなんて。みな醜く死ぬ。いや死なない。

 みんな踊らされる。「この続編こそがwrongだ」だのうまいことを言ったつもりかの無残さもあるし、搭載された暴虐的な面白さを切り捨て「初代のレベルデザインが良かった…」と競技性のみの評価に陥る無残さもある。執拗に「初代の面白さがまたやれるんだ、”人を再び傷つけるのは好きかい?”」みたいに信奉する無残さもある。現実のthe fansは本作の解釈を巡って言葉で殺し合いたがる無残な奴らだ。ここまでに書いたこのゴミのような文章も当然無残だ。わかり切っているんだビデオゲーマーが無残な人生であることなんて。みな醜く語る。いや語らない。

 唐突にゲームシーンに躍り出てきた「Hotline Miami」以後を巡り、ゲームの中も外も数多くの無残な人生の人間たちが踊らされ攪乱される。カクタスは意図してこの状況を生んだのか?いや違う。正体不明のマスクの殺人鬼の中の正体がわかったところで、そのマスクが放つ異様な象徴や暗示が途切れることはないように、すでカクタスの手を離れた「Wrong Number」は暗示する。

 このクソのようなエントリも次のフレーズで終わりだ。最初から「Wrong Number」なんてなかったんだ、誰もそこにいなかったんだ、ぶち撒けた脳漿がどこにもないんだ、あるのは「shiftキーを押してターゲットサイトを画面端まで」という意志だけなんだ…

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