Cyberpunk video game 2015

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 サイバーパンク。このジャンルのイメージは小説ウィリアム・ギブスンの「ニューロマンサー」と映画「ブレードランナー」が見せた雨の降る闇夜の都市に明滅するネオンサインが定着させたと言われている。

 それは80年代から90年代初期にかけて、現実のテクノロジーが進歩してゆくのに歩みを合わせる形で映画から漫画、小説に至るまでそのビジョンは追及されていた。

 だが現実のテクノロジーが成熟していくにつれ、当初のビジョンは陳腐化してしまう。90年代を過ぎるころにはギブスンもブレードランナーのビジョンもその影を潜めていく。

 ところがニューロマンサー&ブレードランナーが当初見せたビジョンは、ビデオゲームでは一向に鎮まる気配が無い。それはAAAタイトルの「Deus EX」シリーズを挙げるまでもなく、それどころかバットマンシリーズの最新作「Arkham knight」でさえもそのビジョンを追従している。過去にない驚異的なアートスタイルで立ち上げられたのは、やむことのない雨の降るネオンサインが明滅する夜の都市。ブレードランナーのビジョンだ。それはクリストファー・ノーランの映画のバットマンが、映画でしか捉えきれない現実に寄ったドライな質感を追及したのと対照的な、Rockstadyのそれはまるでビデオゲームでしか捉えられない何かを追及した結果みたいだ。

 決してAAAタイトルだけじゃない。インディペンデント規模の作品でもここ2年来にリリースされた作品を見たってサイバーパンクのヴィジョンは留まる事を知らない。Super Giant gamesの「transistor」、ジェットセットラジオの影響のある「Hovor」、最近でもチェコのチームの作り上げた2Dプラットフォームでの「Deus Ex」を目指しただろう「Dex」などなど続々とリリースされてる。

 SF小説や映画の界隈では同一のテーマはよりソリッドになっているにもかかわらず、ビデオゲームではニューロマンサーとブレードランナーのビジョンは生産され続けている。「witcher3」で屈指のオープンワールドRPGを生み出したポーランドCD projekt REDの開発中の新作してもそうだ。往年のTRPGをベースにしたそのままのタイトル「Cyberpunk 2077」である。

 当初のSF小説も映画も、時代が進むにつれて近いテーマを扱う際にはそのビジョンから離れていった。にも関わらず、なぜビデオゲームはサイバーパンクの初期衝動のビジョン、闇に明滅するネオンそして降り続ける雨を幾度も繰り返しているのだろうか?

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 ビデオゲームがサイバーパンクのヴィジョンやモチーフと深く絡みあうのは、同じく80年代に飛躍的に拡大した由縁だから?拡張現実やネットワークというテーマにそもそものビデオゲームが重なるから?一向に衰退を知らず、むしろ加速さえしているみたいだ。とりあえずはcyber punkと検索し、当てはまるタイトルを挙げながら

 他のジャンルでのサイバーパンクの90年代以降の成り行きなんかを見ると、たとえば映画においてはこうだ。「1995: The Year That Killed Cyberpunk」 とこのジャンルの衰退の景気になった95年の映画について語っている。なぜこんなウィリアム・フィクナーを弄ってんの?といささか諧謔的な文体だが、どれもなんとも言い難い映画だ。なんとなくだけど、映画や小説の世界で衰退した契機が90年代中盤にあるのは感覚的にわかる気もする。そういや士郎正宗~押井守の「攻殻機動隊」の原作とその映画化のスパンも考えてみたらあれは連載開始が1989年で映画が1995年か…

 ところがビデオゲームにおいてはむしろ90年代以降にこそ花開く。

 

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 80年代当時でも「ブレードランナー」のヴィジョンはいくつかビデオゲームで現れた。、当時流行った映画をモチーフにする形のゲームは少なくはなく、その中で小島秀夫の「スナッチャー」であるとか、シエラオンラインのADV「Rise of the Dragon」などなど、ADVのジャンルにて少なくなく登場した。もともとの「ブレードランナー」自体が骨格にはフィルムノワールやハードボイルド小説があることなども関係あるかもしれないし、また映像や世界観を見せることを当時特に重視していたジャンルがADVだからかもしれない。

 

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 映画の方面では死んだなんて言われる90年代に入ればむしろそのビジョンは拡大してきた。 。「幻影都市」のようにアジアイメージの近未来観(というかワイアード感)を拡大したRPGも現れていたし、 3DCGの表現が新しい時代にはさらにそのヴィジョンは拡大された。当時のPSのマルチメディア時代、インターネットの幕開けというのもあるのか、1997年の「ファイナルファンタジーⅦ」そして「クーロンズゲート」「lain」などなどサイバーパンクのヴィジョン・テーマを引き継いだ作品がこのころは少なくはなかった。詳しくは前に書き散らしたこちらを見ていただくとして…

 このころはまだビデオゲームが進歩するうえで映画になることが目標に据えられていた。それを実現しようとした日本の代表ゲームデザイナーに坂口博信や小島秀夫が挙がるだろうが、こうして振り返るにサイバーパンクのヴィションを少なかれ通過しているのがどこか可笑しい。

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 こうしてアートスタイルやテーマの下敷きになるだけじゃなく、実際に「ニューロマンサー」「ブレードランナー」もゲーム化されている。 「ニューロマンサー」は1988年にAmigaやAppleⅡなどをプラットフォームとして発売。

 「ブレードランナー」に至っては原作映画が1982年、それから15年後の1997年にリリース。権利関係か何かでデッカード刑事はハリソン・フォードの面影はなかったりする。影響を受けただろうFF7と同じ年にリリースされているところにちょっとした皮肉を感じる。

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 90年代~2000年にかけては後にFPSのデザインに大きく影響を与え、現在でも前線を張る代表的なタイトルが生まれている。1994年には「system shock」がリリース。続編にはケン・レヴィンが関わり、後に「Bioshock」シリーズとスチームパンクへと転換する。様々なプレイスタイルを許容するクラシック「Deus Ex」の初代がリリース。数多くのゲームプレイを許容するデザインは開発中の最新作「Mankind divited」にまで繋がる。

 やがてビデオゲームのスペック上昇に留まらず、一定の歴史や文脈が蓄積されることで過去の引用やオマージュ・リミックス・パロディみたいな動きが出る。2000年代から現在にかけての過去のリバイバルで最もわかりやすい例はレトロスタイルのアートワークだろう。8bit16bitのピクセルアートからチップチューン、シンセサウンドを通して80年代のテクノロジーを再評価・再解釈する流れが生まれる。

 リバイバルの流れの中で80年代の大モチーフたるサイバーパンクのヴィジョンのリバイバルが合流した、というのもあるのではないだろうか?たとえば「Far Cry3」の大型DLCである「Blood dragon」などは本編と全くジャンルの違う強烈なパロディなんだけど、短編映画の「kung fury」 とは別にゲームの方では80年代サイバーパンクやガジェットのパロデイなのかマジなのか曖昧だ。2000年中ごろを過ぎての過去のアートスタイルリバイバルは何もメジャーな領域がやることではなく、むしろ少数・個人製作が主であるインディーの潮流が主だった。

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  シエラ・オンラインやルーカスアーツのリバイバルのようなグラフィックアドベンチャーを取り扱うWadjet Eye Gamesの代表的な一つ「Gemini Rue」そして新作「Technobabylon」などはまさに過去リバイバルとサイバーパンクジャンルが接触していることを示すかのような一つだ。

https://bandcamp.com/EmbeddedPlayer/album=3352492535/size=large/bgcol=ffffff/linkcol=0687f5/tracklist=false/artwork=small/transparent=true/

 場合によっては本来遠そうな近現代劇である「Hotline miami」も80年代リバイバル&ピクセルアートの経路をたどり、サイバーパンクの影を踏んでいるといえるかもしれない。ニコラス・ウェンデェング・レフンの「ドライブ」の影響とも言われるサウンドトラックのチョイスではあるが、初代の”Pump it”で鳴り響く「miami disco」や2の”homiside”での「tech noir」の楽曲を生んだフランスのアーティスト・Perturbatorがインスピレーションにしているものは、上のジャケットを見ればわかるようにそれだ。

 サイバーパンクの現在に関して様々な書き散らしを読むと、しばしば語られる結論に「すでにわれわれはサイバーパンクの現実にいる」ということがある。ネットワークの利用は当たり前になり、Oculus RiftのようなヘッドセットからAR技術などなど拡張現実の技術が進んでいる現実をビデオゲームがエンターテイメントとして利用している構図。ある意味そうした現実に一番近いアートスタイルが「Watch_Dogs」じゃないか?

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 去年から散々書き散らした「Watch_dogs」だが、オープンワールドのゲームデザインは革新的にまでは至らなかったとはいえ、根柢にあるコンセプトとヴィジョンに関しては裏テーマをいつも掘り下げにかかるUBIモントリオール作品の中でも屈指の出来だ。サイバーパンクの主要モチーフたる拡張現実も企業支配もネットワームなどなどほとんどがぶちこまれながら、それが日常的なものとして扱われている点がAAAタイトルのサイバーパンクモチーフの中では洒脱である。

 ビデオゲームがサイバーパンクの原初のヴィジョンを生産し続ける理由は、共に80年代に飛躍したジャンルであること・近未来のテクノロジーについてエンターテイメントの形で提示したこと・同時にビデオゲームが身体感覚の延長みたいなところがあったとか、拡張現実という代物であることなどサイバーパンクのモチーフと繋がることが少なくないこと・そして2000年代を過ぎ、80年代のリバイバルなどなどが絡みあった結果ゆえかもしれない。

 それはビデオゲームのヴィジョンにもイデオロギーにもすでに深くかかわってしまっているジャンルなのかもしれない。もしかしたら映画や小説以上にビデオゲームのなにか根源に関わるジャンルなのかもしれない。なにせまったく関係が無かったはずのバットマンさえも、ブレードランナーの乱雑さにアクセスしているみたいだから。闇夜の都市の中でネオンサインは不気味に煌めき、雨は降り続ける。

 

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2件のコメント

  1. 言われてみればゲームだけが「サイバーパンクといえば」的な画がずっと使われ続けてますね
    やっぱりゲーム制作者にはあの世界観や画に情や精神的なものがあるんでしょうか
    少し話が違うかもしれないですがミッションインポッシブルの最新作では新しいスパイアイテムが出てきても誰も説明せずに当たり前のように使っているのが時代を感じました
    確かに未知の道具なんて散々見てきた「当たり前」の道具ですしね(笑)

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  2. もーちょい広めに見積もって漫画や小説あるいは演劇など
    他のメディアではどうかなともちょいと調べたんですが、やっぱゲームのみ
    このジャンルに関して歴史的なというか、技術的なといいますか、
    なんというかメディアの根源に関わる部分を突いているからかもしれませんね

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