リンクのバレットタイム

ひっさびさにもぐらゲームス様の方に「SUPERHOT」の記事を書かせていただきました。

前々から書いてみよう書いてみようと思ったまま放置していた、映画らしさとゲームらしさとシンクロさせるとゲームメカニクス・バレットタイムの総まとめだったんだけど、ちょうどその総決算にあたるタイトルが今年の上半期にふたつ集中していたので、その一つの「SUPERHOT」のレビューと並行しつつ、まとめられた内容になったと思う。ちなみにもうひとつは「Quantum Break」です。

90年代ごろからこうした意匠はあったのだけど、明確にバレットタイムを定義したRemedyの「Max payne」から15年。AAAタイトルはじめいろんな作品が当然のようにバレットタイムを使用するようになった。当のRemedyもこうしてスローモーションの中を動くというメカニクスは、壊れた時の中を動くという世界観の「Quantum Break」に引き継がれる形で一歩踏み込んだデザインをやっており、抽象化を推し進めた「SUPERHOT」と同じ年に出てくると言うのもまあシンクロニティを感じると言うか。

さて今回は先のもぐらゲームス様で書かせていただいたエントリのちょっとした補足。「では日本ではバレットタイムはどうだったのか?ムービー演出を多用するなど、映画的な方向を目指していることに変わりないのでは」というネタなんだが、これはこれで意外に拗れた解釈になるのだった。

 

やっぱり日本のゲームでは、基本別々のものである映画を観賞している感覚とゲームプレイの感覚をシンクロさせようとしていく試みで成功しているケースはかなり少ない。ずーっと言われてきた批判で「映画にするな!ゲームをやらせろ」みたいなのがあるし、一本道で、おまけにムービーを多用することはなく全てはプレイヤー自身のゲームプレイの中で伝えるように、というのがマニアがずっと言ってた理想だったと思うけど、まあ今考えるとそれは別だと思うしね。こうしてオープンワールドやフリーロームの構造の作品が出回ったことで、一本道で映画的な…という構造でしか生めないゲームプレイがあるもわかってきたわけだし。

ファイナルファンタジーシリーズやMGSシリーズのムービーでは、アクションシーンでバレットタイムの演出を多用していることが多いのだけど、一方ゲームプレイに転じた時にはなかなか長いことそれが反映してこなかったように思う。

ゲームプレイの中で映画的な演出を含める、バレットタイムと言う演出は日本のRPGの多くが採用している(最近はそうでもなくなってきたが)ターン性のコマンド選択と相性はいいはずなのでは…と「Fallout3」のV.A.T.Sシステムに初めて触れた時に思ったのだった。

特にコマンド性でありながらリアルタイムで戦闘が進むアクティブ・タイム・バトルというシステムを導入してきたファイナルファンタジーとの相性は特に悪くないはずでは…と思っていたのだが、どうも導入されなさそうだ(※ちなみにFF13シリーズは未プレイ。バレットタイム的な演出とゲームメカニクスが混ざり合ってるのあったらごめん)…と思っていたところに、日本のRPGデベロッパーの中でまさかのところがそれを(予想とはちょい違う形だけど)導入したのだった。

バレットタイムがゲームプレイに含まれた異色作「エンドオブエタニティ」

それはトライエースの「エンドオブエタニティ」だ。3人の主人公を使い、それぞれの動きを掛け合わせるレゾナンスアタックによる銃撃戦が売りだ。ここになんとシミュレーションRPGとバレットタイムを混ぜ合わせるという離れ業のようなデザインで、少なくない日本のAAAタイトルがムービーの中で実現しているアクションを、ゲームプレイの中で実現している異色な作品だ。

いま振り返るとあの作品は数多くの可能性を孕んだまま、誰もそれを継承することなく放置されちゃってるという、ある意味で日本のRPGらしいRPGの現象な感じもする。意外に「いびつだけどもの凄いことをやっているのに、研究されたり再評価されることなく放置されてる異色な日本RPG」って結構ある気がするね…「ブレスオブファイア・ドラゴンクォーター」とか、異色のゲームデザインで誰も継承しないケースあるよね…

映画・ビデオ小ネタをぶち込みまくった「ビューティフルジョー」とか


もうひとつ、カプコン時代の神谷英樹ディレクションの「ビューティフルジョー」。あれはフィルムやビデオの早送り・スロー再生ってのをゲームメカニクスに組み込んでいるのもそうなんだけど、各ステージのタイトルが名作映画のもじりだったりとなにかと小ネタを効かせてることも背景にあるのか、ゲームにおける「映画的」というのをネタにしてるのが上手い。

神谷英樹ゲームが良いことのひとつは「ベヨネッタ」のムービーの一部でフィルムリールが流れる演出なのに省力でキャラは動かないというように、映画的ってことの記号で使われるフィルムとか使いながら、AAAタイトルがよくやる映画的な方向とは距離を置いてるとこがある…ってこれはどうでもよろしいことを褒めてるな。

というわけで2003年当時とはいえ、AAAタイトルがこぞって映画的になろうとしているときに、映画的ってことをちょっとネタにして見てるような距離感のある2Dプラットフォーマーとして、今遊んでも素晴らしい。

ゼルダの伝説がバレットタイムを入れることの意外な感じ

さてラストなんだけど、「このタイトルがバレットタイムを入れちゃうのは意外な感じ」というタイトルでは「ゼルダの伝説」の新作がある。上の動画の時点で開発中であるし、というかwiiU生産中止の噂とか、開発中だと言われるNXに移す予定らしいとか、実装されるのかどうかはわからないが…

とりあえず発表されている動画での、ゲームプレイでのバレットタイムの演出はこれまでのゼルダの伝説シリーズからすると唐突感があるのは否めない。というのもゼルダの伝説はそのゲームデザインのほとんどがゲームプレイそのものに集中しているようにできているので、実写のアクション映画的な演出とはかなり距離がある。

「時のオカリナ」以降に3D化したことで、演出に大なり小なり映画的な演出は入ってくると思うんだけど、その後の「風のタクト」がトゥーンレンダリングを採用したことも相まり、当時の他のFFやMGSが推し進めていたような実写映画的な方向にはとにかく乗らないようにしている。

「トワイライトプリンセス」ではFFやMGS、「バイオ4」や「大神」(※開発期間的に影響があったのかは不明)、場合に寄っちゃ「真・三國無双」などかなり当時のAAAタイトルのクオリティを参照したふしがある異色作だと思うし、実際映像演出の比重もシリーズの中では強めだった。QTE的な演出がわずかに入るというくらいだったと思う。

うって変わって「スカイウォードソード」ではセザンヌを参考にしたアートワークにディズニー的なキャラクターデザインであり、徹底したWiiリモコンと連動したゲームデザインも相まって過去になくゲームプレイに集中したデザインだったためか、ここでも実写的な演出とは遠ざかってる。むしろピクサーのようなアニメーションの発想なんかの方が近いかもしれない。

時のオカリナ以降を振り返っていてもアートワークではトゥーンレンダリングを採用したりと実写的なモデリングを採用しないデザインであるし、ゲームメカニクスの方でも実写映画を観るような感覚をゲームプレイに移植しようとする形跡はほとんどない。

そんななかでゼルダの新作のバレットタイムを唐突に感じるのは、過去のシリーズで実写映画的な演出をともかく避けていたゆえだ(FFやMGSなどなどのタイトルと差別化する意味もあったのだろう)。だが今回、長らく距離を置いていただろう実写映画とゲームプレイを結びつけるこの演出を採用したのには、「GTAV」やベセスダをはじめとした海外のAAAタイトルを意識してのものなのだと思う。

おそらく現代的なオープンワールドの採用に加えてこのバレットタイムを取り入れるという、いまや多くのタイトルも当たり前にやっていることに合わせたかたちなのだろうが、逆説的に世界では想像以上に映画的な感覚をゲームプレイを結びつけるというデザインって前進してたのかもしれないな…といまさら思うのだった。

同時に、任天堂(もしくは宮本茂プロデューサー)が実写映画的な演出、アートスタイルから距離を置き、ゲームプレイに注力したデザインに徹底してきていたこということも。とはいえ任天堂は映画的なるものを全て否定してるかというとそうでもなさそう。もう書ききれないけど、任天堂はむしろアニメーション(それも初期ディズニーやフライシャーのような商業アニメーションのクラシックのやつ)の影響のほうはあるんじゃないかな?とはうっすら感じてはいるんだけど、この書き散らしはまたいつか。

3件のコメント

  1. 時オカは私も好きなゲームですが、まずは「リアルな世界を体験させてくれる」GTAやスカイリムと同軸の評価が第一のゲーム、という認識なので「ゼルダはゲームプレイに特化したシリーズで~」と言われると「そうだったかな・・・」という気持ちになりますw
    「太陽がちゃんと沈む!世界がそこにある!」といった評価もかなり強かったような。
    さらにさかのぼれば神トラも当事のゲームとしては破格の「リアルさ」が評価されていた気がします。少なくとも私はそこが好きでした。アイテムの用法が1つに限らない、という要素なんかも謎解きがどうこう以前に「リアルっぽい」から嬉しい、という感覚だったように記憶しています。
    実際、宮本茂という人はインタビュー等を読む限り「(特に物理的な)リアルっぽさ」に相当拘る人だという気配を感じるんですよね。
    「プレイアビリティ」と「本人が譲りたくないリアリティライン」がかち合った時、後者を取る人というか。
    ゲーム的な処理をかなり嫌う、本人の嗜好としてはリアル厨だと思っています。
    「RPGは所持重量制限無くしちゃアカンでしょ」と言いそうな人ということですねw
    だから信用しているという話なんですけども。
    あと、プリレンダムービーが嫌いなだけで、映画的な演出自体は好きな人でもあると思います。

    ゼルダの魅力については「ゲームプレイの任天堂」の枠組からでは見えないものもあるかも、と思う部分があるんですよね。
    スカウォをプレイしての感想が、「そもそも据え置きゼルダに『これはゲームですよ!』と声高に主張してくるパズル的な謎解きって必要かなあ・・・?」だったので。

    主題のバレットタイムとは完全にズレてますが、ゼルダについて思うところを多少、ということで。

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  2. これまた後で書くネタなんですが
    海外の流れで「作品世界に没入できるように可能な限りUIを消し、一見して”これは一定のルールの中にあるものである”と作品を思わせないようにしてるってのがあると思うんですよ。
    アンチャーテッドとかその他いろいろありますが…

    その中でバレットタイムというのはかなり作品世界や映像表現を崩さないままのゲームメカニクスということで稀有ではないかというのがここの書き散らしで言いたいことだったんですが、
    現行の海外の流れと比較するとやはりゼルダはUIを見たって「これは一定のルールの中にあるもの」という意匠が強めと思ったため、こうした評価になっています。

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  3. ゲーム史の代表的存在であるゼルダまでもが映画のモノマネに落ちるとは…悲しいですね。ゲームというジャンルの終焉を見ることになりそうです。

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