アウェイのGAME SCOPE SIZE・ここのところはこういったところで書いてましたよ

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最近では「Mini Metro」が面白いですよ

「GAME ONに行ってきましたよ」からはや2か月近く本部のここを放置してましたが、ここんところは外でレビューなりを書かせていただいておりました。アウェイといっても見知った方であったり、以前より評価を頂いていた方々なので大変ありがたく、かつ書きやすかったです。一方ではゲームが一切関係のない媒体で無理やり繋げてやってみたいなあ、「壮快」に書くこととかねえかなあ、などとしょうもないことも思っています。ところで「さらに続きを…」をクリックすると話題作「INSIDE」のネタバレが含まれてますのでご注意ください。

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まずひとつ。音楽サークルあおばとさんに寄稿させていただいた「ローポリゴン・ブルー・アンビエント」です。かなりざっくりと「ビデオゲームは3DCG表現の時代に入って、特定のゲームジャンルに縛られることがなく仮想空間そのものを体験できるというのが大きくなった。このことがビデオゲームのBGMにおいてアンビエントミュージックが拡大する契機になったのでは?」というお得意の初期PS・SS時代に照らしつつの、帰納法によるアンビエントミュージック話です。

ちなみに今読み直して補足しておきますと、「3DCG時代に入ったから空間が~」というのは×で、もう少し詰めるならば「ビデオゲームでルールやメカニクスを度外視し、アートそのものをプレイヤーに伝えるようにするデザインが3DCG時代あたりから盛り上がってきたため」と書いたほうがもうすこしましな気がします。(2D時代からもアンビエントミュージックに該当するBGMを使用した作品は「MOTHER2」などありました)

そうなると「私たちはいかにしてユーザーインターフェースを取り外した世界を眺めるようになったか?」みたいなタイトルでアートそのものを重視したデザインがどこから来たのかが本当に掘り下げるべきことで、アンビエントミュージックはその副次物ってことになっちゃったかもしれません。

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次がもぐらゲームス様にて書かせていただいたイラン革命の「1979 Revolution」 の紹介&レビューです。これはかなり後味の悪いところで結末になっちゃうんですが、もともとはもっと長い作品だったみたいです、まじで政治的なテーマを取り扱う場合は本当に完成しきれない例が多い中、逆風を乗り越えてリリースに辿り付き、そして小規模になったとはいえ高い完成度も保ったことはすばらしいです。

 

さて最後に同じくもぐらゲームス様にてあの話題作「INSIDE」レビューです。記事中に「これはコンテンポラリーダンスだ、前衛演劇だ」とか書いてますが、よくここまでえげつない作品がヒットしてるなと改めて思います。 ワシントンポストのレビュー読んでると映画監督のラース・フォン・トリアーの例が出てくるんですが、言い得て妙でplaydeadと同じデンマークのこの監督も本当に鬱屈とした映画を撮るのです。

 

ラスト、少年がたどり着いたのは無気力化された人間たちが実験の果てに融合した姿です。ここに至るまでに生命は極めて投げやりな扱いであったところが、一挙に覆るという嫌なカタルシスが爆発します。すごいベタなところでは「AKIRA」みたいとかおもってしまいましたし、先のコンテンポラリーダンス例えならば集団で集まり巨大な何かを演じる振付けのようでもあります。

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ここからのシークエンスは生命誕生みたいな躍動溢れるものが異常なくらいグロテスクに描かれています。最後の少年が融合するところはまるで受精のようでもありますし、途中落とされた底には女性器みたいなのが描かれていたり、そうした暗示がいくつか混ざってるんだと思います。しかし、全く明るいものではありません。

最後の壁をけ破り、坂を転げ落ちたさきであれは生きているのか、それとも死んだのかはあいまいにされたままです。しかしいずれにしてもひどく後味の悪いのですが、ぼくはこういう理由で苦い思いになります。そもそも生命誕生と出産みたいなイメージで覆われていて、完成しきれなかった生命が外に出されるってことはつまりさ……という解釈を取ってしまうがゆえに、尾を引きます。あのシークエンスは何にせよ、「INSIDE」の体験と暗示を凝縮したラストになっていますよ。

本当にこれはハネケやラース・フォン・トリアーみたいな鬱屈がこうまでゲームになっていて、それがニコニコ動画でわいわい実況もされてるくらいヒットしてる状況が凄いよとおもうばかりなのです。

 

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2件のコメント

  1. http://www.yoshioojima.com/?p=223
    ここを読めばわかりますが、サティの意図はあくまで(自分の)音楽を漫然と聞く大衆に対するアンチテーゼで、聴くに値しないものとして家具の音楽を発表していたようです。実際に聞けばわかりますが、家具の音楽の大半は所謂アンビエントとは言い難いものです。

    いいね: 1人

  2. これはかなりてきとうに書いてたところを調整してくれるめちゃくちゃ良い記事ですね…
    こっちが不勉強でした。大変恐縮です。ありがとうございます。
    そもそものイーノのアンビエントミュージックの「エアポート」などがどういった場所で使われ、
    そして80年代にブームになったか、も語られており、面白かったです。

    そしてサティの話は音楽というものがいかに町中に溢れ、そして聴かないものになり
    BGMみたいになってしまったというのもかなり思うとこありますね。

    いいね

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