いまごろの『Flowly』 thatgamecompanyのアクションをアートにする試み

 thatgamecompanyの第2作である「Flowery」を今頃クリア。「風の旅ビト」であんまりにも高い評価を得たおかげで今となってはその前段階の作品という印象はあるが、こっちのほうが印象深かったり。ってとこまで去年書いたまま半年以上放置してたものを今頃まとめた。

しかし今頃クリアして一番面喰ったのは、けっこうネットの評価に出回っている”これはアートだね”という評価だ。実際自分も「アクアノートの休日」を予想していたのだけど、クリアした実感はというとまったく逆。

だけど無理もないのかもしれない。PS3以降のコントローラーに実装された6軸検出システムによる傾け操作を生かした”花びらを風に乗せて動かす”というコンセプトであるうえに、特定の主人公なりのキャラクターが全くいないことや、一切のあらすじもなく美しい風景の中を風に乗っていくというゲームプレイは、(2009年時点ではこのジャンル名は定義されていなかったが)昨今のウォーキングシミュレーターあたりと同じようなカテゴリに入れられ、”これはアートだね”という評価に行き着くのはしょうがないのかもしれない。

だがしかし数多くのアマチュアからプロのウォーキングシミュレーターであったり、本当にキャラクターもストーリーも、それどころかゲームメカニクスからも距離を置いたアートのアプローチをしたゲームと比較すると、「Flowery」がどうしても俗にいうアートだ…という評価には行き着かない。むしろこれは、「スーパーマリオ64」や「NIGHTS」といったアクションゲームと比較された方がすんなりいく。

俗に”これはアートだね”という評価に行き着きがちなのは、適当に考えてみてもおおよそ3つの受け入れやすい部分が無くなることで起きるのだと思う。

まず第1にキャラクターの不在。これでいろんな意味で感情移入すべき媒体がなくなってわかりづらくなる。第2に明確なあらすじの不在(いちおう、それと察することのできる流れはステージの構成でわかる)。一体ゲームの中でなにが起こってるのかがわかんなくなる。だけどゲームでそれらが無くても成立する。単純に例を挙げても「テトリス」みたいなパズルゲームを挙げればわかりやすい。でもあれが”アートだね”という評価が第一に出ることは少ないだろう。あれは明確なルールが存在し、高いスコアを出すためにプレイヤーが競うという要素が第一だからだ。

そう最後に”明確なルールの上で競い合い、勝ち負けの判定”のある、競技性の不在だ。一列に揃えると消えるのだが特に得点も入らないし、天井まで積み上がってもゲームオーバーにはならない「テトリス」。そんなもんふざけんなって思うかもしれないけれど、世界の個人製作ゲームの水面下ではそんなゲームが膨大にある。なんにせよいずれかが該当することで”これはアートだね”という座りの悪そうな評価に行き着きやすい。

「Flowery」はそのいずれにも該当している。キャラクターは花?といっていいのかは迷うし、あらすじもとりあえずはあるのだが冷たい都市の裏打ちとしての自然が…と曖昧である。そして花を風で動かす中で、明確なゲームオーバーになることもない。通常の評価軸からずれているのは確かだ。

だがしかし、アート的な…という実感よりも、過去に遊んだ優れたゲームデザインの記憶の方に直結する。それは「スーパーマリオ64」の飛行できるぼうし取った時からあの「NIGHTS」にその体験は近い。特に「NIGHTS」に「Flowery」は近いと思う。

thatgamecompany作品はアートとしてのゲームという評価に落ち着きがちなのかもしれない。だけど実際のところ構造的にはもの凄くトラディショナルでタイトなゲームデザインを行っていると考える。「癒し」「幻想的だ」みたいな感想に至る水面下では、宮本茂や中裕二のビデオゲームもかくやという、「空を浮遊する」みたいなあるアイディアを形にした個性的なゲームメカニクスと、それを生かすレベルデザインを行うことで、アクションゲームの最重要部分だろう、プレイヤーの体験をきっちりデザインしている。その点が特徴あるゲームメカニクスを備えているわけではないウオーキングシミュレーターとは評価が違うところではある。

ただ「Flowery」ではそこにキャラクターも、わかりやすいあらすじも、明確なゲームクリアやゲームオーバーのような勝ち負けを省いていることで、特に”これはアートだね”という評価にいきつきやすいのかもしれない。だが往年のPSで、いまのSteamで、itch.ioやGamejoltなどで見られた膨大な「アート的」なゲームを考えると、「スーパーマリオ64」や「NIGHTS」の体験を思い出すような出来なのは経験上まず一つも無かったのは確かだ。

Flowlyはおそらくマリオ64やNightsといった作品から、キャラクターもあらすじも削るほかに、競技性を盛り上げるために使われるであろう花を舞わせ、集めていく基本のゲームメカニクスとレベルデザインから、競技性そのものを可能な限り削ることで、ゲームの結果について回る勝ち負けや失敗というもの価値でブレがちな体験そのものデザインすることに特化してるんだと思う。

 

 

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