3.ビデオゲーム表現

デトロイト不気味の谷と俳優たち

『Detroit: Become Human』は初期の3DCGのビデオゲームやアニメーションに触れてきた世代にとっては、意図的にデザインされた不気味の谷と戯れる体験でもある。

バグやグリッチはプログラムのミスだが制御してデザインに組み込めばクールな表現になったり、ジーンズの破れも制御して組み込めばファッションの表現になるのと一緒だ。そして現代の3DCG キャラクターは、実際の俳優たちの演技の中で制御されている。なので不気味の谷が意味を持つ。いま3DCG の空間の中のキャラクターと俳優は、いったいどんな風にその存在を評価されるのか?

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Depression(抑鬱)はいかにオリジナルを意味しなくなったか

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いつからビデオゲームはDepression(抑うつ)で溢れかえるようになったのか?

最近の新作のインディーゲームでは少なくない頻度でこのテーマの作品が発表されるほか、昨年にはなんと『Hellblade: Senua’s Sacrifice』が発表。これはDepressionとはもっとも遠いジャンルのはずのスラッシュアクションを製作してきたNinja Theoryまでも精神の内部に潜り込むことをテーマにするという、スラッシュアクションからすればある種歴史的なことかもわからない。

サンプリング・リミックス。オマージュ、パロディ。コピー&ペースト。複製や2次創作で溢れかえるのことに際限がなくなるなか、いまさらながらオリジナルとは何なのだろうか。うんざりするほど繰り返された議論だが、いまだに手堅く解釈されるのは作家本人の精神や個人性を反映した作品であることだ。

どんなに複製で溢れかえるなかでも作家本人そのものだけはオリジナル、自分自身をさらけ出すことこそオリジナルというような。しかし、正しくオリジナルであることとはロジカルで、テクニカルな部分は多分にある。自分は作家の粗雑な感情や精神にフォーカスすることをもってオリジナルを定義するのは、瞬間的には面白くとも、賛同しすぎないようにしている。

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2017年にゲームメディアで書いてきた記事ハイライト

 

今年はメディアでかなり書いていたので自己紹介などで大きく「GAME SCOPE SIZE」を喧伝しているわりに本体のここがあんまり更新できてないのでどういう自己プロデュースだって感じになってるので、2018年は充実させていきます!と前置きしつつ、2017年にさまざまなメディアで書いた記事のハイライトです。

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“PCとの対話”から振り返るドラクエとFFの差

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長らくコンソール中心で遊んできた身なのでPCゲームに移るのはだいぶ遅かった。ちょうど国内でのコンソールでのゲームデザインが煮詰まってきたのを感じていたのもあって、移った当初は正直かなりの解放感があったのを覚えている。

そんなふうにPCで海外の様々なビデオゲームを遊んだ中で、最もコンソールとは異なると感じた点が一つある。非常にシンプルだ。こんなことは今更かもしれないけれど、PCとの対話である。あらためてPCとの対話という観点から振り返るとビデオゲームのストーリーテリングへの解釈がずいぶん様変わりすることに気付く。

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2015年の日本産オープンワールド・9つの奇妙なシンクロより生まれる狂気

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今年鳴り物入りでリリースされ、賛否が分かれる内容となった日本産のオープンワールド「MGSV」「ゼノブレイドクロス」。両作は長い人気シリーズの初の試みということで注目が集まっていた。

小島秀夫と高橋哲哉は、過去に同じ制作会社にいたとか、どこかで対談をしたりといったような目立った関係は無い。ゲームファンの間でも二人を並べて語ったりすることはまずないろう。だが長いキャリアの中大きくスタンスを変えただろう両者の新作は、奇妙なくらい内容がシンクロしている。

ここからの書き散らしには両作の重大なネタバレが含まれている。なお「夏色ハイスクル★青春白書 ~転校初日のオレが幼馴染と再会したら報道部員にされていて激写少年の日々はスクープ大連発でイガイとモテモテなのに何故かマイメモリーはパンツ写真ばっかりという現実と向き合いながら考えるひと夏の島の学園生活と赤裸々な恋の行方。~」についてはいっさい言及していない。

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虐殺器官のファントムペイン

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 「MGSV:TPP」メルヴィルの「白鯨」やオーウェルの「1984」といった小説が引用されているとのことだ。確かに語り手である”僕”イシュメールが伝説になる船長エイハブとピークォド号の乗組員たちに関わり伝記として残す関係を、プレイヤーがゲームプレイを通して関わりながら見つめるビッグボスとマザーベース、そして本作の結末まで含めて重ねることはできるかもしれない。

 だがしかし本当に大事な小説を忘れている。それは何十年も前だとか一世紀前の小説だとか、文学史に残るような昔のものじゃない。今からわずか8年前に刊行された小説だ。その小説と、そして作家はおそらく「MGSV:TPP」のドライで残酷な作風に決定的な影響を与えたと見ている。

 諸海外のトレンドであるオープンワールド化と、「half-life2」から「batman:Arkham knight」に至るイベントシーンでもゲームプレイは続くという演出を長回しカメラと解釈したムービー演出が本作をドライにし、かつてない無情さを与えている。そう「MGS:GZ」の時に思った。やはり本編でもムービーとゲームプレイを可能な限り切らない演出は健在だが、語られる世界と巨悪はこれまでのような主語のデカいものではなくなり、どこか抽象的な領域に足を踏み込んでいる。そこにかの小説の影響が考えられるのだ

 全ての所業がまるでマッチョなイルミナティみたいな過去シリーズの世界観からすれば、それはとても繊細なテーマだ。なぜそれを選んだのか?というのはその小説と作家の生涯に大きく関係あると思う。というのも、小島秀夫はその作家と少なくない交流があったようだから。

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暗殺者ヨハン再び 歴史や大局を遠く見つめるアサシンの視座

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 ふと「サガフロンティア2」を思い出していた。サガシリーズの中で物語に注力していた意味で異色なあれは、歴史というものを体感させようとしていた試みを取っていた。表側は戦記として世界のパラダイムを変える大きな歴史の流れをギュスターヴ13世サイドが描き、その裏側ではナイツ一族の3世代に渡る世界の裏側で暗躍するエッグと闘っていくというオーソドックスなファンタジーの二重奏という構成を取り、歴史というテーマへのアプローチを取っている。

 ところが突出して意味深いのは、異色の不能者として生まれやがて革命的に時代を変えるギュスターヴでも、15歳から86歳になってもなお杖で闘うウィル・ナイツでもない。作中わずかにしか登場しない暗殺者ヨハンである。

 皇帝が主人公となり歴史を描いていく「ロマンシングサガ2」と違い、ただでさえ「ファイブスター物語」のような年表が提示されている歴史のエピソードをドライブする構成になっているこの作品では、不思議なくらいギュスターヴとウィルを動かしていても、マスコンバットを行っても、そこに歴史や大局に決定的にインタラクションしている感覚が無い。まるでそのまま有り物の羅列を眺めているみたいだ・・・歴史や大局が描かれる物語には、傍観者であり関係者であるという立場が必要だ。それがサガフロンティア2における暗殺者ヨハンの意味深さに繋がる。

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