勝手に逃げろ/シゲキ・バーキン『Travis Strikes Again: No More Heroes』

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須田剛一が『Travis Strikes Again: No More Heroes』でおよそ10年ぶりにディレクターへ復帰した(共同ディレクターは山崎廉が担当)。2010年以降、長らくクリエイティブディレクターという、奇妙な役職にいた。しかし、どの程度クリエイティブにタッチしていたのかわからなかったし、拡大した規模でのゲーム制作がグラスホッパー・マニファクチュアにとって適正だったか?といえばそうではなかっただろう。『TSA』が発売された時には須田剛一は51歳にもなっていた。/1968年、フランスの5月革命をはじめ、世界で政治運動が展開されていた。当時、気鋭の映画監督だったゴダールは商業映画から撤退、ジガ・ヴェルトフ集団という先鋭化した政治映画製作を展開し、劇映画としてのロジックをすべて捨てた映画を作り続けていた。(Half-Life Modの『ESCAPE FROM WOOMERAみたいな政治的インディーゲームを作り続ける集団だと思ってくれ)それから実に12年後、1980年に商業映画へと復帰する。それが『勝手に逃げろ/人生』だった。上映されたとき、ゴダールは50歳を迎えていた。

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格闘技(MMAやボクシング)に例えると、人間が生まれ持った骨格や体つきによって、適正階級は決まってくる。クリエイティブも本当は近いと思っていて、大規模な開発を統率しきれるクリエイターもいれば、やはり小規模で制作することが合っているクリエイターもいる。でもコマーシャルのシーンで活躍し続ける限り、制作会社は拡大しつづけなくてはならない部分がある。それはもともとの体格以上の階級へ、興行の都合から無理に上げるのに似ている。/ゴダールのジガ・ヴェルトフ集団期に制作した映画は、政治や現実に関わるするほかに、“音響と映像の関係”をテーマにしたソニマージュと呼ばれる試みを追求するものでもあった。格闘技に例えるならば初代タイガーマスクの佐山聡が娯楽としてのプロレスを突き詰めた末に、独自のテーマを追求した総合格闘技・修斗を作り上げたり、市街戦を想定した格闘技である掣圏真陰流に似ていて、独自の映画製作の思想を追いかけるものだった。

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現実の格闘技では、進歩するなかで軽量級が設定され、本来の体格に合った階級で闘えるようになった。インディーゲームという市場が登場したことはそれに似ている。小規模なクリエイティブと販売が可能になったからだ。コンソールをメインにしていたGHMが、『TSA』でインディーゲームへの強いシンパシーを見せたのも、クリエイティブの適正階級に戻りたいのもあったのだろう。/佐山聡が総合格闘技・修斗の運営が難しいというのもあったのか、一時期は再びプロレスに戻り、タイガーマスクを演じて見せていたみたいな……と例えるには無茶があるが、ジガ・ヴェルトフ集団のラディカルな活動に区切りがつき、ゴダールは商業での映画製作に戻る形になった。

実際、表立ってニュースにはなっていないがGHM自体も、ある意味で適正階級に移行するような物事があったようだ。ガンホーの子会社となってから、F2Pの『LET IT DIE』をリリースするも、昨年2018年にコアメンバーである新英幸・コンポーザーの山岡晃を擁したスーパートリック・ゲームズという制作会社が設立。代表取締役はガンホーの森下氏が就いている。

詳細はわからないが、会社概要を見る限り、2013年にGHMがガンホーに子会社化される経緯に近いと思われる。GHMが旧社を「プラネットG」に商号変更し、従来のGHM名義で新会社を立ち上げ、ガンホーに子会社化されたのがこれまでの経緯である。スーパートリック・ゲームズの創立年月日を見ると2013年となっており、またしてもGHMの商号を変更した形で旧スタッフが分離される形となった。2018年10月に神保町へと拠点を移したほうのGHMは新会社として立ち上げられたもののようだ。

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/ソニマージュの過激な実験や活動を終えたゴダールとミエヴィルは、商業映画に復帰するにあたって映画製作の拠点をスイスに移す。80年代以降の映画はそこで制作されていく。

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『TSA』は3つの世界で構成されている。ひとつはトラヴィスが逃げ込んだ、森のトレーラーハウスのある現実世界。ふたつめはビデオゲームの世界、最後がADVで展開されるテキストの世界である。/『勝手に逃げろ/人生』は4つの主題で構成されている。第一章は「想像界」、続く「不安」、「商売」、「音楽」によって物語は変遷していく。

当然、GHMのやることなので細かいところにまで仕掛けが施されており、一見するとスルーしてしまう要素が多い。単にゲームの世界のなかで闘うなんて表向きの展開のみに留まらない。実際にはここ10年のGHMが辿った迷走に蹴りをつけるみたいな内容だ。どうやら日の目を見ることのなかったゲームの企画が、作中に登場するビデオゲームらしい。相変わらずハイコンテクストなことをやっていて、その裏側まで見ないと実態は見えない。/もちろんゴダールのやることなので、細かいところから観客を動揺させてくる。主人公であるTVディレクターの名前はポール・ゴダールと、そのまま監督自身を表したキャラクターかと思いきや、これは監督の父親の名前を使ったものだったり、登場人物のイサベルもそのまま女優のファーストネームが名付けられている。相変わらず現実と虚構の曖昧な存在こそが映画、と言わんばかりである

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どういうことか? 推測になるがGHMが2010年ごろ、中規模のデベロッパーとして、須田剛一のワンマン体制だけではなく、ほかのディレクターによるタイトルも手掛けていた。しかしその方向性が実を結ぶことはなく、子会社化されることになる。ここでゲームになった作品は、おそらくはガンホーに子会社化される直前あたりの企画なんだと思われ、その登場人物たちと闘う内容と言えるだろう。つまりGHMの、およそ10年の過去を殺していくのだ。/これまでも監督作品には映画監督サミュエル・フラーを出演させてきた。そこにはコラボとかイースターエッグの意図よりも、コンセプチュアルであることのほうが強い。「勝手に逃げろ/人生」で興味深い登場となったのは、フランスの小説家マルグリット・デュラスだった。「モデラート・カンタービレ」を代表作とする彼女の小説は、特定の物語や感情の起伏を描写しない。抽象的な小説である。ゴダールは「勝手に逃げろ/人生」の撮影時期にはデュラスとの対話集も残しており、映像とテクストで表現するお互いについて語り合っている。デュラスは結局、名前までの出演に留まったが、映画と小説にて近しいスタンスを取るふたりが接近した瞬間だった。

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特に『シャドウオブ・ザ・ダムド』は10年を超えてGHMのクリエイティビティに重くのしかかってきた作品だった。なにせ『TSA』でも『シリアス・ムーンライト』として登場するくらい、トラウマのように尾を引いている。当初『KURAYAMI』というタイトルで2006年ごろに企画されたことから振り返ると、GHMの歴史の中でも深く影を落としている。

『ダムド』は中規模なデベロッパーが、諸海外で評価されていくなか、上の階級へと挑戦したタイトルだった。だが上手くいったと言えなかった。それ以降、拡大した規模を持て余しているのは、外から見て感じていた。『シャドウオブ・ザ・ダムド』のあとも、シナリオに採用されなかったものを使って『ブラックナイトソード』、『Killer is Dead』が制作されたほか、漫画原作で『暗闇ダンス』が描かれてきた。

これで迷走していた10年に決着がついたんだろう、とMEEBEEの作った我集院のジョンソンラップを聴きながらそう思った。DJフクタケ氏から紹介される形で今回のOSTを担当したMEEBEEの楽曲は、高田雅文、山岡晃とGHMのメインコンポーザーたちと比較してミニマルにまとめられている。シンプルなアクションゲームとなったゲームデザインに呼応した楽曲だ。

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最終ステージCIA本部は、うって変わって現実を舞台にしているという。でもこれまでにないくらいひどいレベルデザインだ。そこでトラヴィスは誰に出会うのか? インディーゲームのカルトヒット作である、『Hotline Miami』の内面世界に巣くう、Richardたち3人だ。彼らに導かれ、CIAの奥にいる最後の相手を殺す。そうしてたどり着いた先は『スキタイのムスメ』のようなピクセルアートの世界だった。

それは迷走していた過去を殺し、インディーゲームの現実にたどり着くことを意味していた。GHMが小規模なデベロップメントという、クリエイティブの適正階級に戻ったことを告げている。もう今後GHMが、須田剛一作品を作り続けることを迷うことはないだろう。『Travis Strikes Again: No More Heroes』は第二のデビュー作と言える。/ゴダールが商業映画に戻ってきてからは、少なくとも日本国内でのプロモーションでは『ゴダールの探偵』、『ゴダールのマリア』みたいにより監督名を強く押し出す邦題がつけられるようになった。その後も映画というメディア、いや映像というメディア全体に自己言及的なビデオ作品『映画史』を制作し、21世紀になってからもラディカルな映画製作を続けていた。2019年には最新作『イメージの本』の公開が決定している。『勝手に逃げろ/人生』は第二のデビュー作とも呼ばれた。

デビュー作には作家のすべてがあると言われる。『シルバー事件』を他のGHM作品で謎があったときに戻ってくるように、『TSA』でも他の作品で謎に出くわしたときに戻ってくるだろう。なにしろ、未完に終わった小説版『Killer7』の主人公、シゲキ・バーキンのその後を知ることができる唯一の作品なのだから。彼は死なない相手、サマヨルと同じ顔つきに気づいてから14年もそのままにされていたのだ。/映画の最後、主人公ポール・ゴダールは『勝手にしやがれ』の主人公ミシェルのように、路上で死ぬ。


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