Play back CONSOLE WARS 「セガvs.任天堂」書評

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Game*Sparkの連載企画「平成ゲームメモリアル」第2回では、自分が司会と構成を担当して、90年代のゲームハード戦争を取り扱った。あの時代は、企業それぞれの個性が競い合うなかで際立っていたのは確かだった。池田伸次さん、G.Suzuki(ぐらぽ)さんと組んで、打ち合わせをしつつ昔の思い出から、今のゲームについてもたくさん話したりして、半分くらいプライベートみたいな気持ちで仕事できたのだった。

そんな座談会をまとめたあと、気晴らしに図書館へ寄ったときに「なんでこれを先に読んでおかなかったんだ!」という本を見つけてしまった。『セガvs.任天堂(原題:Console Wars: Sega, Nintendo, and the Battle that Defined a Generation)』だ。評判を聞いていたけど、長らく読み逃していたうえ、せっかくダイレクトなテーマを近い時期に取り扱っていたのに!と少し後悔した。いうことで、平成ゲームメモリアル第2回の補足も兼ねた書評。

セガがアメリカで覇権を握っていたころのこと

日米のビデオゲーム市場はどんな関係があり、違っていたのか?座談会でも語ったように、自分は日本国内のコンソールを中心に見ていて、正直ゲーマーとしてはマーク(プロレス用語です。)だった。日本国内の歴史しか知らないわけで、アメリカにおける90年代がどのような様相だったかもまったくわかっていない。

だからメガドライブが、アメリカでは市場の半数を掌握するほどの勢いを見せ、ソニック・ザ・ヘッジホッグが日本よりもずっと知られたアイコンだってことも知らなかった。しかもメガドライブの繁栄をもたらしたのが、もともとビデオゲームには疎い、おもちゃメーカーで活躍した人物だってことも考えることさえなかった。

セガ・オブ・アメリカ(SOA)のCEOを務めたトム・カリンスキーは、そんな『セガvs.任天堂』の主人公に据えられている。伝統的なジャーナリズムのように、ノンフィクションとして事実を描写するのではなく、映画や小説のような臨場感で描かれている。冒頭、カリンスキーがハワイへ家族と休暇中に、当時セガの代表取締役社長を務めていた中山康雄が訪れ「君に会うためにやってきたんだよ。さっきも言ったが、君の居場所を突き止めるのは一苦労だった。」と語りかけるシーンは、まるで長いドラマが始まるかのような予感を残してゆく。

作者ブレイク・J・ハリスは、執筆の当初から映画化やテレビドラマ化を見越していたという。実在する人物がしっかりと会話するし、心象描写も多い。映画やドラマのチャプターみたいに全体も構成されている。こうしたスタンスの記述には、つい演出のために事実関係を曲げているのではないか?と疑ってしまうが、膨大な下調べや関係者のインタビューに支えられているのは確かだ。2014年のコミコンでも、ハリスならびにカリンスキーをはじめ重要人物が集まり、揃ってインタビューを受けているのを見ても、主な関係者と固い関係を作っていることがわかる。

なにより90年代のゲームハード戦争では、実際にダイナミックな出来事が続いており、セガがアメリカで覇権を握る瞬間なんてそれくらいの修辞を重ねてもいいのかもしれない。特に以下のシーンはわくわくさせられる。

アメリカにおいて、セガが任天堂からシェアを奪った事実をもとに「家庭用ゲーム機業界に複数の企業が参入する余地があることを証明する結果となった。こうして先例が作られてしまった今、著名なハードメーカー五社が文明国に群がる蛮族のように城壁の前に列を成していたのだ。」と記されたあと、そうそうたるメーカーのゲームハードが描かれる。3DO、アタリによるAtari Jagger、日本電気(NEC)のPCエンジン……まるで「グラップラー刃牙」の地下トーナメント編、全選手入場みたいな高揚感がある。最後に「ソニー」の名前が上がるシーンには、緊張さえ感じる。

「セガvs.任天堂」は90年代の苛烈なゲームハード戦争の皮切りには、セガが一度でも市場を掌握したことが重要であると語っている。もちろんこの論旨は、日本からすれば時系列が違っているため(PCエンジンはメガドライブよりも前に発売されているし)、ハリスがドラマチックに書きすぎている面はある。助長すぎる描写も全体を覆っている(自分なら事実をドラマチックに書くにしても、修辞を控えるし簡潔なテキストを目指す)。

とはいえ中山の誘いから、SOAのCEOに就任したカリンスキーが、任天堂が覇権を握るアメリカで、まったくシェアを取れていなかったメガドライブを広めていく過程は、過剰な描写も問題ないほどの逆転劇だったは確かだ。

逆転劇をけん引したのは、アメリカ国内でセガが行ったプロモーションだった。意図的に「vs.任天堂」を押し出したのである。当時のCMをYoutubeなどで観ればすぐにわかる。メガドライブをに例えられた高速のF1マシンが、「マリオカート」を映したTVを背負う車をあっという間に追い抜かしていく。『ソニック・ザ・ヘッジホッグ』のクールさを押し出すのにも役立っていたのだろう。

カリンスキー率いるSOAが行った戦略は今見ても興味深い。「なにがクールで、そしてその世代にとってのライフスタイルにビデオゲームが組み込まれるか?」ってことを考えさせられるから。ちょうどライフスタイルとサブカルチャーの関係がいまの自分の興味なのもある。

日本でのセガのプロモーションといえば、サターンからドリキャス時代のセガなんてダッセーよなってひどいCMに代表されるような自虐や迷走ばかりを思い出してしまうが、当時メガドライブを広めようとしていたSOAは真逆だった。既存の任天堂がもたらしたビデオゲームの価値観を子供向け、温和なものと言い放ち、いわば「任天堂はダッセーよな」って突き付けるスタイルだった。

仕掛けと良心の問題

王道に対して過激さやスピードで噛みつく仕掛けなんて、まるっきりジャイアント馬場の全日本プロレスに対する、新日本プロレスの猪木のやり方そのままだ。しかし他人を攻撃し、自分を優位に見せていく猪木とSOAのカリンスキーが違っていたのは、良心や倫理の有無だった。

メガドライブがスピード感や過激表現を押し出したビデオゲームや、プロモーションによって「クール」なイメージを獲得する一方、カリンスキー自身はビデオゲームの表現が過激化していくことに良心を痛めていく。任天堂と差別化していくなかで、暴力表現や過激表現を重ねていくことに対し、自分のやっていることが子供たちに良いことではないのではないか……と悩み始める。

ビデオゲームが表現の過激化に関しても、2000年代の日本では大きな問題になった、ということを第4回で話していて、ゲーム=悪はアメリカでも問題になっていた。自分が思うに、カリンスキーが悩んだのも彼がゲーマーではなかったからというのも大きい気もする。もともとおもちゃ業界から来た人間だったわけだから。

「モータルコンバット」の残虐性から、ついに世間から忠告を受けた時も、カリンスキー自身が思っていたことが鏡映しのようになったと書かれるシーンからは、やりきれない思いが伝わる。カリンスキーは良心の呵責を払拭しようと、当時のセガが展開しようとしていた教育プログラム路線に関わる。

そう「PICO」である。カリンスキーはPICOの企画には乗り気で、子供を育成するコンテンツに関われると思っていたという。過激路線と真逆の教育路線なんて振り幅に、当時のセガのパワーを感じさせる。だけどこの企画もすんなりとは進まなかった。PICOの価格帯が思ったより高価になる、と聞いた中山は、なんと怒りのあまりPICOの試作品を粉々に破壊してしまう。カリンスキーはプロジェクトに手応えを感じていながらも、中山の反応に愕然としてしまう。

栄光と盛衰

このあたりになると、セガのアメリカ支社と日本支社とのあいだですれ違いも起き始め、アメリカにおけるセガの栄光にも陰りが見え始める。任天堂が『スーパードンキーコング』によってアメリカ市場で大成功を収め、さらに任天堂やセガとハード開発に関わろうとしていたソニーも、プレイステーションにてゲーム業界に参入する。

90年代の半ばで起きる激動の時代の前に、カリンスキーが身動きを取れなくなっていく様は後の時代を考えると痛ましいし、メガドライブの後のセガサターンに関してはあまり評価していない様も物悲しくはある。中裕司の傑作といっていい『NIGHTS』も、その質の高さを認めながらも、市場に展開していくためのフックの足りなさを指摘するあたりにSOAならではの意識が見えるというか……セガが覇権を握っていた時代が、社内や外部からゆるやかに終わっていく様は儚い。

どうあれ、SOAが作り上げたブランドイメージによって、いまだにメガドライブは特別なクールさを保ち続けている。ハード戦争の中でもイメージ戦略の要素や、ゲーマーの対象が子供から大人に向かう時代であったりと、セガの隆盛だけではない読みどころが多く描かれているのだ。

 

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