サイバーパンク。このジャンルのイメージは小説ウィリアム・ギブスンの「ニューロマンサー」と映画「ブレードランナー」が見せた雨の降る闇夜の都市に明滅するネオンサインが定着させたと言われている。
それは80年代から90年代初期にかけて、現実のテクノロジーが進歩してゆくのに歩みを合わせる形で映画から漫画、小説に至るまでそのビジョンは追及されていた。
だが現実のテクノロジーが成熟していくにつれ、当初のビジョンは陳腐化してしまう。90年代を過ぎるころにはギブスンもブレードランナーのビジョンもその影を潜めていく。
ところがニューロマンサー&ブレードランナーが当初見せたビジョンは、ビデオゲームでは一向に鎮まる気配が無い。それはAAAタイトルの「Deus EX」シリーズを挙げるまでもなく、それどころかバットマンシリーズの最新作「Arkham knight」でさえもそのビジョンを追従している。過去にない驚異的なアートスタイルで立ち上げられたのは、やむことのない雨の降るネオンサインが明滅する夜の都市。ブレードランナーのビジョンだ。それはクリストファー・ノーランの映画のバットマンが、映画でしか捉えきれない現実に寄ったドライな質感を追及したのと対照的な、Rockstadyのそれはまるでビデオゲームでしか捉えられない何かを追及した結果みたいだ。
決してAAAタイトルだけじゃない。インディペンデント規模の作品でもここ2年来にリリースされた作品を見たってサイバーパンクのヴィジョンは留まる事を知らない。Super Giant gamesの「transistor」、ジェットセットラジオの影響のある「Hovor」、最近でもチェコのチームの作り上げた2Dプラットフォームでの「Deus Ex」を目指しただろう「Dex」などなど続々とリリースされてる。
SF小説や映画の界隈では同一のテーマはよりソリッドになっているにもかかわらず、ビデオゲームではニューロマンサーとブレードランナーのビジョンは生産され続けている。「witcher3」で屈指のオープンワールドRPGを生み出したポーランドCD projekt REDの開発中の新作してもそうだ。往年のTRPGをベースにしたそのままのタイトル「Cyberpunk 2077」である。
当初のSF小説も映画も、時代が進むにつれて近いテーマを扱う際にはそのビジョンから離れていった。にも関わらず、なぜビデオゲームはサイバーパンクの初期衝動のビジョン、闇に明滅するネオンそして降り続ける雨を幾度も繰り返しているのだろうか?
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