『シルバー事件』HD  24区の重層的な父親殺し

20161010153448_1

もぐらゲームスで再評価を行いました。

あらためて『シルバー事件HD』を振り返って心に残っていることは、真実と事実が違うという物語ではない。ウエハラカムイであるとか、FSOとTRO/CCOの政権争いであるとか、謎のままの部分以上のものがいつも印象に残る。それは物語全体に暗に漂っている重層的な父親像である。

『シルバー事件』はGHMの処女作にしてもっともテキスト量が多い。キャラクターも背景やプロフィールが作中で緻密に描写される。それは後の『花と太陽と雨と』や『ノーモアヒーローズ』みたいな刹那的な登場人物の在り方からすると、当たり前のことが異質にさえ思える。オレが初めてオリジナルの『シルバー事件』を遊んだときは、『killer7』や『花と太陽と雨と』を遊んだあとだったので、変な話だがあまりのわかりやすさに面食らったのだった。

20161008021024_1

登場するキャラクター描写の細かさから、奇妙なことに浮上してくるのはが父親的な関係性の濃さである。父親のキャラクターのイメージとは恥ずかしいくらいありきたりにいって子供を導くものであり、一方で成長した子供と諍いをおこす。やがて無力感にさいなまれ、子供に(複数の意味で)殺されるものである。その関係性を見せるのがプレイヤーや後輩のコダイスミオを導くクサビテツゴロウ、そして彼の上司コトブキシンジだ。

実質的な主人公といえるテツゴロウは、一言もしゃべることのできない子供のような立場のプレイヤー(アキラくん)をどんどん24区の世界に導き、重要なシーンでは強い言葉で問いかけてくる。ほぼ同じ立場である後輩のスミオは反抗しつつも一緒に捜査していくのだが、「パレード」の結末にて決定的な破綻をきたす。これらのいずれもが、先輩刑事が後輩を導くという関係を越えた、ウェットな感情が残るのである。それは、「カムイドローム」での留置場でのテツゴロウとスミオの会話でより強く感じる。その会話は後輩刑事が犯罪を犯したというより、まるで父親が事件を起こした息子に向かい合うような奇妙な味わいである。

20161008014800_1

父親的な関係はさらに重層的になる。当のテツゴロウの父親的な位置として、広域捜査官時代からの上司としてコトブキシンジの存在がある。コトブキはプレイヤー側とあまり関係せず、ディテールも薄いのだが、テツゴロウを見て休暇の手配をしたりと手厚い対応をするキャラクターであることがわかる。他の凶犯課とのキャラクターとのコントラストによって、強い上司像(「西部警察」みたいな身なりの通りだね)とともに父親像を構築している。

ところが物語の最後「ライフカット」でこのテツゴロウとコトブキの関係もまた、ありきたりなくらいの父と子の破綻として終わる。再びカムイが動き始めた背景にはもはや単なる一事件では終わらない思惑が動いており、コトブキはあの西部警察のような身なりを縮こまらせ、怯えるのである。対してテツゴロウは怯まず、立ち向かう姿勢を見せる。温度差が際立つ中で、コトブキはある一言を発する。それは二人の関係を終わりにする一言だった。ここはさながら無力感にさいなまれた父親が、息子に超えられる・見捨てられるかたちで関係が終わるというイメージだ。

20161010150056_1

このように血縁関係ではなく関係の中での父親像が際立つとオレが感じる理由には、作中で登場する子供たちが軒並み母親ははっきり描かれるのに対し、実際の父親が不在であることが大きい。「スペクトラム」ではスギタコウイチ(これはファイプロのリネーム機能みたいに須田剛一氏本人を模している)くんは母子家庭であり、団地の中で暮らす。「カムイドローム」で母から小遣いをもらうフルヤにもやはり父親は描かれない。

そして「パレード」でわかる少年時代のスミオにはっきりと両親の描写はない。一方で凶犯課に配属され、テツゴロウにスーツを買ってもらうエピソードがある。奇妙なことだがテツゴロウには娘も嫁もいることがわかるのだけど、『シルバー事件』全体が持つ不気味なリアリティや説得力と比較すると、血縁関係上の父親としての描写はまるで作りものみたいにしか見えない。対して、スミオとの関係性での父親像は並外れて際立つ。

また、父親がはっきりしているケースでは「デコイマン」で殺された女性たちの子供が出てくる点だが、その父親とはラストで”何度も生まれ変わる” ”死んでも死なない”ウエハラカムイの子供ということで、結局のところはっきりとしない。もうひとつは冒頭のプレイヤーの上司・ナツメダイゴの娘、サクラだ。しかし登場した時点で父親は集中治療室に入ったまま無力であり、関係性は曖昧である。母と息子、父と娘という血縁関係までは描かれても、父と息子だけが描かれないゆえに、象徴的なレベルでの父親像が際立つ構図となっている。

20161024235630_1.jpg

極めつけは「プラシーボ」編である。モリシマトキオこそ傍観者として俯瞰して本作をまとめ上げる位置におり、そうした関係性と無縁なキャラだと思われるのだが、これがラストにて逆転してしまう。なんと、作中唯一の父親と息子が対峙する構図を、モリシマトキオが担うのだ。

父親像というのは社会性を形作る役割そのものだ、という構図は心理学やらなにやらでよく言われると思うのだが、トキオが最後に直面するのはそんな父親像そのままだ。なんとトキオは作中世界の最大の権力者・24区長のハチスカカオル(ウミノスケ)の息子ということが発覚。重層的な父親像の構図からいっても最大のキャラクターと対峙することになる。さきほど「はっきりと血縁関係上の父親は出てこない」といったが唯一トキオにとってカオル(ウミノスケ)がそうなのだ。

おまけに「トランスミッター」編で発覚するカオルの裏側さえ含めればトキオとカオル(ウミノスケ)をとりまく父と子のパワーバランスは、テツゴロウとスミオの関係とは比べ物にならない。「プラシーボ」編の最大の特徴はほとんどのシーンがモリシマトキオと他の登場人物が一対一で会話して進む。「トランスミッター」編が多数の登場人物たちとのコミュニケーションで成り立っているのに対し、それはクローズドで、逃げ場のない雰囲気も纏う。それゆえに最終話で最初に実態のない最大権力者に真正面から対峙するということは、不気味で威圧的な意味の父親像として出来過ぎている。

立場一つとってみても対峙するものは大きい。社会的な立場を担う区長と寄る辺ないフリーライター、抽象的に言えば社会と個人の対立そのままだ。トキオは傍観者と思っていたら作中の父親像のなかで最大の相手と相対する。それゆえにトキオが最後に選んだ道はネガティブであるにもかかわらず、結果的に父親殺しのカタルシスに満ちた結末である。

父親像が際立つ理由は最後にもう一つある。実質的にある人物2人がどの派閥にも縛られていないことである。作中の背景でFSO(政治闘争に負けた残党)とTRO/CCO(現行で政権を握ってる連合)との政治闘争の延長でウエハラカムイが殺人を起こしているという背景が終盤にわかってくる。が、その終盤でさらにその派閥の争いでさえも実は仕組まれた茶番、カムイの殺人の真の目的は別のところにあることがわかってくる。登場人物の多くもうっすらそのことを理解しているにもかかわらず、何らかの派閥に属し、ポジショニングを保つ。ところが「トランスミッター」編、「プラシーボ」編それぞれにまったくの派閥の影響を受けない人物がいる。

20161010154226_1

そう、クサビテツゴロウとハチスカカオル(ウミノスケ)である。この両者は、ちょうど父親像として見事に陰陽が分かれている。現場でプレイヤーを導くけど、不気味な現実に無力を感じる父親……最大の権力を持ち、実体のしれない計画を実行して、息子にえげつない殺人を仕向ける父親……ほとんどの登場人物が派閥の中の自分のポジションの中でがんじがらめにされてるなか、この二人だけがまったく派閥の諍いを超えていて、ウエハラカムイの持つ真実に最も近い。実際、「談話室タムラ」のあとでクサビはハチスカと闘っていくことを宣言して終わるのである。それはまさに、この物語が最終的に対照的な父親像に収斂していることを示していると思う。

以降の作品ではテキスト量が激減するためにキャラクターの関係性の描写でウェットな部分は薄れ、登場人物たちは刹那的に登場しては死にゆく。だからこそGHM作品のデザインの美しさが生まれているとオレは感じている。しかし『シルバー事件』では重層的な父親像というこっぱずかしいくらいのウェットな部分が凝縮されていることに、変な話だが動揺する。奇をてらう裏側にある、とてもプライベートなところを見てしまってるからかもしれない。美しく生まれ変わったフィルムウィンドウの奥にあるそれはなにも変わらず、遊ぶたびに重層的な父親殺しの体験に動揺する。

<<おまけ>>

20161010154616_1

「パレード」に出てくるコウサカの元ネタはたぶん、総合格闘家・解説者の高坂剛。引退してたけど最近現役復帰して試合に勝利してましたよ。須田剛一氏はプロレスラーの前田日明に心酔していて、その弟子である彼をネタにしたとおもわれる。

657a390c.jpg

五郎丸を擁するラグビー日本代表チームを、格闘家の立場で指導したことでも有名。

2件のコメント

  1. いつも楽しく拝見しています。
    ついに来た「シルバー」についての記事で、ps版を何度もプレイした身ですが、いろいろと再確認できる内容でとても満足しました。

    「シルバー」の父親像として考えていると「花と太陽と雨と」で登場したカイ親子が思い出されましたw
    あれもまた特徴的なような典型的なような、関連して考えると興味深い父子関係です。

    いいね

  2. カイ親子好きでしたよ パロディやメタの領域なら父子の関係を描けるんですよね
    母子家庭は「暗闇ダンス」でもずーっとシリアスなんですけど、裏打ちとして父子を描こうとするとそうなっちゃうんだと思います。

    いいね

コメントを残す